原人の世界 ジャワ原人・ペキン原人・アフリカ原人とは?

ジャワ原人

1891年、東南ジャワのトリニルにあるソロー川のほとりで
ジュボアは洪積世中ごろの地層から、たくさんの獣の化石といっしょに
原人の頭蓋骨と大腿骨を発見しました。

この原人は、骨の形から考えると、立って歩いていたと考えられました。
そこで、ピテカントロプス=エレクトス(直立猿人)という学名がつけられたのです。




ペキン原人

1921年7月、スウェーデンのアンダーソンとズダンスキーは
中国で獣の化石を研究していて、ペキンの南西にある周口店を訪れました。

ここは、セッカイ岩の石切り場のあるところです。
アンダーソンは、そこにあるたくさんの洞窟の1つで、石器のかけらを見つけました。
これがペキン原人発見の手がかりになりました。

それから、アメリカのブラックが中心となって発掘しました。
大勢の人夫を使い1927年には、8800立方メートルもの岩石を取り出し
その中から、たくさんの獣の化石といっしょに原人の化石を発見しました。

これは、シナントロプス=ベキネンシスと名付けられました。
また、1929年に、裴文仲が、原人の頭蓋骨を発見しました。

こうして、1937年までに見つかった原人の化石は
頭骨14人ぶん、下あご12人ぶん、歯は全部で147個で32人ぶんありました。
男のも女のも、子どものもありました。

原始的な人類が、一か所からこんなにたくさん見つかったのは、はじめてでした。

ペキン原人の頭蓋骨を調べてみましょう。
後ろから見ると低い五角形で、現代人の高い七角形と区別されます。
目の上には、左右にはしる高まりがあり、大きさはゴリラと現代人の中間ぐらいです。



歯は、つきでて現代人のとくらべるとやや大きく、犬歯が少しとがっています。

ペキン原人のいた100万年ぐらいまえの中国には
サイ・ハイエナ・サーベルトラ・オオツノジカ・ナウマゾソウ・クマ・スイギュウなどが、たくさんいました。

原人は、これらの動物を狩りしたりして生活していました。
周口店の洞窟には、原人が使った石器や、灰が見つかっています。

なお、これらのペキン原人の資料は、第二次大戦中に失われてしまいました。
そこで中国では戦後、ふたたび周口店の発掘をはじめ
いくつかの原人の化石を発見することができました。

1953年、シャンシー省の洪積層から、原人の化石が見つかりました。
これは、ペキン原人にあたるものとされています。

また1957年に、中国のチャンヤンで発見されたチャンヤン人は
ペキン原人と現代人の中間のものとされました。

さらに、カントン省のマーパの洞窟から見つかったマーバ人は
ペキン原人とネアンデルタール人の中間のものと考えられています。

アフリカ原人

アフリカからも、原人の化石が発見されています。
北アフリカのモロッコからは、アトラントロプスの下あごが
東アフリカのタンガエーカ湖付近からは
アフリカントロプスの頭蓋骨が見つかっています。

これらの原人たちから現代人にまで進化した中間の人類の化石も
あちこちで発見されています。







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