ダーウィンとは? 自然選択説とは?

進化説の確立

進化説のあらましが、本当に築かれたのは、19世紀の中ごろになってからのことです。
イギリスのチャールズ=ダーウィン(1809~1882)が、1859年にあらわした。

有名な「種の起原」という本の中で、生物の進化のしくみや、理由を説明しています。
これではじめて、キュビエの天変地異説がくつがえされました。

そして、これから後、にわかに、進化についての研究が発展してきたのです。




ダーウィン

チャールズ=ダーウィンは、エジンバラ大学で医学を学んでましたが
まもなく、動物学に興味をもつようになりました。

その後、ケンブリッジ大学にすすんでからは
ヘソズロー教授の指導を受けて、博物学者としての道を選ぶようになったのです。

ダーウィンは、イギリス海軍のビーグル号に乗って
世界各地を旅行し、生物や地質についての知識を深めながら
ついに「種の起原」の中で述べた進化説をまとめあげたのです。

ダーウィンと同じころ、イギリスには、地質学の元祖と考えられている
チャールズ=ライエル(1797~1875)という人がいました。

彼は、たくさんの地層や化石を調べ、1830年に「地質学原理」という本をあらわし
地質学の方面からキュビエの考えかたをくつがえした人です。

この「地質学原理」によると、地層の中にある化石は
天変地異のためにできたのではなく、氷河や洪水や海水など
自然のはたらきによって、たえず変化してできたと説明してあります。

ダーウィンは、このライエルと親しく手紙をやりとりし
お互いの知識を交換していたと言われています。



自然選択説

ダーウィンは、生物の進化について、たくさんの証拠を集めました。
そればかりでなく、自分でも実際に、家畜のかけあわせを実験して、調べてみました。

そして、家畜にたくさんの種類があるのは人々が長いあいだに
必要とする特徴のあるものを、選び出したためだと考えました。

このように、ある生物が人によって選び出され
その生物が子孫を残していくことを、人為選択といいます。

ダーウィンは、たくさんの自然の生物を調べて、自然界の生物のあいだには
人の手によらなくても、生物が生きていくための競争(生存競争)が行われ
その場所の環境に適したものだけが、生き伸びていく、ということに気がつきました。

このように、生物が自然の力によって選びだされることを、自然選択と言います。
この「選び出しによって生物が進化する」というのが
ダーウィンの進化説の中心になっています。

そのため、彼の進化説、自然選択説と呼ばれています。

たとえば、氷河時代に栄えたマンモスは、地球があたたかくなって
環境や食べ物が変わったために、生きのびることができず
にわかに死に絶えてしまいました。

しかし、そのころの地球上に、ほそぼそと暮らしていた大むかしの人間は
環境に適していたために、氷河時代が終わると生き残り
栄えることができたというわけです。

ダーウィンの進化説には、さらに、つぎのような考えもふくまれています。
つまり生物が、生きているあいだに身につけた新しい特徴(獲得形質)は
すべて子孫に伝わり、やがて新しい種をつくると考えていました。

ダーウィンと同じころの、イギリスの動物学者ウォーレス(1823~1913)は
ダーウィンとは別に、自然選択による、生物の進化に気づいていました。

しかし、彼は、獲得形質が子孫に伝わるとは、考えていませんでした。







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