ガリレオ・ガリレイの研究と考え方とは?

新科学対話

コペルニクスが「天球の回転について」を書いてから
100年近く経った1638年、イタリアの科学者ガリレオ=ガリレイの
「新科学対話」という本が出版されました。

この本もまた、科学の歴史に残るすばらしい書物です。
この本の原稿は、その2年も前にできていたのですが
イタリアでは、どこからも出版してもらえませんでした。

そこで、あるフランスの身分の高い人の助けをかり
オランダのある本屋から出版しました。
カトリック教会の力も、オランダまではおよばなかったからです。

この本は新しい科学者、古い学者、市民の3人が4日間
お互いに話をするという形で、おもしろく、活き活きと書いてあります。

そして、古い考えのどこが間違っているか
これにかわる新しい考えかたはどんなものか
自然について調べていくにはどうすればよいかということを見事に書きあらわしています。

またこの本には「地球上では、物体がどんな落ち方をするか」という
問題についても書いてあります。



落体の研究

鳥の羽根や紙きれなどは、ゆっくり落ちるし
鉄の球や石などのように重いものは速く落ちます。

ですから、それまでの学者は「重いものほど、速く落ちる。そして、重さが2倍になれば、落ちる速さも2倍になる」と考えていました。

ところが、鉛の球を1つ用意して、1つの球をもう2つの球の重さの100倍にして
同じ高さから同時に落としてみると、ほとんどいっしょに地面に落ちます。

こういうことから考えると、昔からの考えは
どこか間違っているのではないか、ということになります。
ガリレオはピサ大学の先生をしていた25才のころから、このことに疑問をもっていました。

ガリレオばかりでなく、それより少し前
オランダの科学者ステビンも2つの重さの違う鉛の球を落としてみる観察をしていました。

こうして、ものが、重さで違う落ち方をするという昔の考えが
決して正しいものではないことだけは、はっきりしてきていたのです。

落体の法則の発見

ものが落ちるときには、どんな法則に従うのでしょう。
これを発見したのが、ガリレオなのです。
それはガリレオが40才、パドバ大学の先生になって10年あまり経ってからのことでした。

ガリレオはまず、こう考えました。

「鳥の羽根のように軽いものが、あんなにふわふわ落ちていくのは
きっと空気が邪魔をするからだろう。もし空気のないところだったらどうなるだろう」

しかし、そのころは真空ポンプはありませんでしたし
空気のないところで実験することはできません。

そこでガリレオは、こう考えました。

「もういちど、鉛の球を使ってみよう。鉛の球はすべすべして重い。
空気が邪魔をするにしても、たいしてさしつかえないだろう。
前の観察でも、かなり重さの違った球が、ほとんど同時に地面に落ちている。
だから、鉛の球を使えば真空の中で調べるのと同じことを、空気中でもやれるわけだ」

ガリレオはまず、鉛の球を、高さをかえて落としてみました。
なかなか速くて検討がつきません。
しかし、高ければ高いほど、落ちる速さが増えていくようでした。

こうしてガリレオは「ものが落ちるときの速さは、落ちはじめてから時間が経つにつれて大きくなる」という見通しをつけました。

ところが、その増えていく速さを測ってみようとしても、そのころは、測る道具がありません。
でも、幸いなことに、落としはじめてからの距離と時間が測れます。

そこでガリレオは、この距離と時間とのあいだには
どのような関係があるかをまえに述べた見通しのもとに計算で解こうとしました。

そしてとうとう、つぎのようなことを明らかにしました。

「真空中では、物の落ちる速さは、決まった割合で増えていく。
つまり、物の落ちる距離は落ちるまでにかかった時間の三乗に比例する」



実験で確かめる

物の落ちる運動は、非常に速くて、うまく実験することができません。
ガリレオはいろいろ考えた末、この運動をもっとゆっくりやらせるのに
斜面を使うことにしました。

もちろん、ものが落ちる場合も斜面を転がる場合も距離と時間の関係は同じであることを
計算や実験で、はっきり確かめた上でのことです。

これだけの準備ができてから、ガリレオは斜面に沿って水をつくりました。
そして、この溝を転がり落ちる球について
いろいろに、斜面の傾きをかえたりして100回も調べてみたのです。

その結果、距離と時間とのあいだには
たしかにガリレオの考えていたような関係のあることがわかりました。

このような苦心を重ねて
「真空中なら、物体が落ちる運動は物体の重い、軽いの区別なしに
どんなものでも決まった加速度を持っている」という落体の法則を発見することができたのでした。






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