宇宙開発がはじまったのはいつ頃? わかりやすく解説!

科学の進歩

人類は、随分遠い昔から、宇宙やもろもろの天体に関心をよせてきました。

しかし、天休の科学的観測がおこなわれ、その観測結果にもとづいて正しい宇宙の姿が描かれはじめたのは、ルネサンス期以後のことです。


さて、20世紀に入ると天文学はますます大きな発展をとげます。

その原因の第一は、科学者たちが自分の観測した結果にもとづいて自由な考えかたをしてもよいようになったこと(コペルニクスやガリレオの時代は、キリスト教によって厳しい制限をうけていました)、また、望遠鏡などの観測手段が非常な進歩をとげたこと数学の発達などもその理由にあげられます。

まず、1904年、アメリカのカーリフォルニア州ウィルソン山の頂上にウィルソン山天文台が開設されました。

この天文台に1917年、口径258センチの反射望遠鏡がすえつけられました。

反射望遠鏡はもともと、イギリスの科学者アイザク・ニュートンが1670年ごろに発明したもので、それまでの屈折望遠鏡の対物レンズのかわりに凹面鏡を使い、物体からくる光をこの鏡で反射させさらに第二の鏡でこの反射光を観測に適当な場所に集めるようにしたものです。

反射望遠鏡を使うと、星雲のように非常に弱い光しか出していないものの観測もできます。
そこで、ウィルソン山天文台はつぎつぎと新しい星を発見したのです。

ついで、1948年、同じくカリフォルニア州パロマー山天文台に口径508センチの大反射望遠鏡が完成するにおよんで宇宙をさぐる私たちの目は、さらに果てしなく遠いところにまでおよぶことになりました。

この世界一の大反射望遠鏡は、20億光年の彼方の星まで探ることができるのです。
ところが、電波望遠鏡というのを使えば、さらに遠くの星まで探ることができるのです。

天体が電波を出しているということは、誰も予想していなかったことですが1931年、アメリカのベル電話研究所の技師、カール・ジャンスキーという人がまったく偶然の機会から、ある種の電波が天空の彼方から送られてきていることを発見しました。

あまりにも予想外のことでしたのではじめはジャンスキーの発見に疑いをもつ人が多かったのですが第二次大戦中、やはり偶然に太陽からの強い電波が受信されそれ以来、天体からの電波に関する研究がにわかにさかんになり電波天文学という新しい分野がうまれたのです。



それまでの天文学は、いわば光を手がかりにしていました。
ところがこんどは電波という新しい武器が使えるようになったわけです。

電波を出している星、いわゆるラジオ星はつぎつぎと発見され今日ではその数が数千個にも達しています。

これらの星の存在は、光学的研究によって築き上げられたそれまでの天文学による宇宙像を大きくかえさせることになりましたが電波天文学の発達にともない、反射望遠鏡による天体観測にも思いがけない新しい面が開けてきました。

たとえば、こんなことがあります。

1952年、イギリスの電波天文学者ライルとスミスは電波をたよりに白鳥座のラジオ星(2億光年)の位置を正確に決定しましたがこのデーターにもとづいて、パロマー山の508センチ反射望遠鏡をその位置に向けてみたところ、そこではなんとそれぞれ1000億の恒星をふくむ2つの大星雲が激しく衝突しあっているさまがみられたのです。

広大な宇宙空間における、巨大な星雲同士の衝突これほど恐ろしい劇的な眺めも待たないでしょう。

こうして、いわば偶然の機会から誕生した電波天文学はあるいは、それまでの天文学を助けあるいはその限界を越える宇宙の先の先まで探り続け宇宙についての私たちの知識をさらにさらに広げ続けているのです。

いま活躍している世界最大級の電波望遠鏡はイギリスのチェシャー州ジョドレルバンク天文台に備えられているものでそのパラボラ型アンテナの直径は76メートルもあります。

この電波望遠鏡が、アメリカやソ連の打ち上げる人工衛星や人間衛生の宇宙飛行の様子を捕えています。




タイトルとURLをコピーしました