電磁誘導と電磁波が発見されたのはいつ頃? わかりやすく解説!

科学の進歩

ファラデーの実験

ファラデーの先生は、いろいろな発見や発明をしたイギリスの有名な科学者ハンフリー・デービー卿です。

あるときデービーは「あなたがこれまでにされた、いちばん大きな発見はなんですか」とある人に訊かれたことがありました。

するとデービー卿は、いきなりマイケル・ファラデーと答えたそうです。

デービー卿にとっては、自分がおこなったどんな発見よりもファラデーという天才を見つけたのが、いちばん大きな発見だったのです。

ファラデーは、貧しい鍛冶屋にうまれました。
印刷屋や製本屋ではたらきながら、科学の勉強をしたのです。

後に、デービーの助手になり、当時設立されたばかりの王立研究所で科学のいろいろな実験をしました。
電気の実験をしていたのは、このころです。

ファラデーは1821年、つぎの2つを実験しようと思いました。
1つは、電流によっておこる磁針の振れを回転運動にかえることもう1つは、電流が流れている針金を磁石のまわりに回転させることです。

そして、いろいろな実験装置をつくって、苦心を重ねました。
ファラデーは、なんど失敗しても、ねばり強く10年も研究を続け、ついに重大な発見をしました。


ファラデーの大発見

1831年のある日のことでした。

ファラデーは、鉄の輪へ2組のコイルを巻きつけたものをつくりました。
そして、1組のコイルに電流を流したり切ったりしました。

すると、電流を通さないほうのコイルにも、電流が流れるのです。
このようなはたらきを、電磁誘導といいます。

ファラデーは、さらに実験をすすめました。
そしてつぎのような場合に電磁誘導で電流を取り出すことができることを明らかにしました。

  1. いっぽうのコイルに流れる電流を加えるとき
  2. いっぽうのコイルに電流を流し、2つのコイルを互いに動かすとき
  3. いっぽうのコイルを、磁石にたいして動かすとき

ファラデーのこのような発見から電流と磁気とのあいだにあるはたらきについて筋道の通った整った考えかたができるようになりました。

電気や磁気のはたらきが、石が落ちたり、物が滑ったりするはたらきとはまったく違うことが、はっきりしたのです。

彼はまた、摩擦でおこる電気も、ボルタの電たいの電気もみな同じ、電気だということを明らかにしました。
そして、自分の発見した法則を応用することはほかの人に任せつぎつぎに新しい研究をすすめました。

ファラデーの発見と、それからの研究は電気機械の非常に大切な原理になっております。

発電機の発明も、この電磁誘導の原理をもとにしてできたのです。



マクスウェルの予言

ファラデーは「電気を帯びたもののまわりや、磁石のまわりの空間は目には見えないが特別な様子をしている」と考えました。

そして、電気を帯びたもののまわりに「電場」磁石のまわりに「磁場」という名前をつけました。

まだファラデーは、電場や磁場を目に見えるようにするために力線というものを考えました。
しかしこの力線は、電気の研究にとってはわかりやすいのですが数学で言い表せるような、はっきりしたものではありません。

ファラデーの考えを押し進めてまとめあげたのはイギリスの物理学者マクスウェルです。
彼は力線のかわりに、数学の理屈を使って研究をすすめました。

そして、「電場や磁場は、波のように強さをかえながら、空間をすすむ。
私たちの日に見える光も、電場や磁場の動きと同じものだ。
光の速さと、電場や磁場の伝わる速さは、理屈の上では同じになる」と説明しました。

電磁波はある

マクスウェルが、電磁波の考えを発表してから十数年のちドイツのヘルツは、実験によって、電磁波が実際にあることを確かめました。

ヘルツは、コイルと小さな隙間のある針金の輪を用意しました。
そして、コイルと針金の輪を向い合せて、コイルに電流を通じ、火花を飛ばしました。

すると、針金の輪の隙間にも、火花が飛びました。

コイルと針金の輪のあいだには、電流を伝えるものはありませんから電磁波が
空間を伝わることは明らかです。

ヘルツはさらに実験をすすめ、電波が光と同じように反射や屈折などをおこすことも調べました。

また電波は、光と同じ性質をもっているが波長か光よりもはるかに長いことも明らかにしました。




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