第四紀とは?氷河時代・沖積世とは? わかりやすく解説!

第四紀

第三紀の終わりから、地球は、広く氷河におおわれるようになりました。
この氷河の出現した時期から後を、第四紀とよんでいます。

それはいまから約100万年まえのことです。
この時代は、さらに洪積世(氷河時代)と沖積世(後氷河時化)とにわけられます。


氷河時代

第三紀の終わりごろから気温が急に下がりヨーロッパの北部や北アメリカは、広く氷河におおわれました。
その面積は、地球の全陸地の約3分の1にも達したと言われています。

しかし、氷河時代といっても、この時代の気候が、全期間を通して寒かったわけ

ではありません。気候が非常に寒かった時期とむしろ今よりもあたたかいくらいの時期とが繰り返されました。

その回数は、寒い時期(氷期)が4、5回ありそのあいだに、3、4回のあたたかい時期(間氷期)がありました。

氷河の浸食作用は硬い氷がゆっくり下りながら、がりがりと削るのですから川とはくらべものにならないほど、激しいものです。
たとえば、谷の断面がU字形をした、深い谷をつくります。

氷河は、谷の壁に大きなかき傷をつくりながら大小さまざまな土砂をえぐりとって下流へ運びます。
そして、あたたかくなって氷河がなくなったあとには氷河に運ばれた堆積物が残ります。

こうした堆積物の分布や、間氷期に堆積した別の堆積物との関係を調べるとどのような氷河が、何回発達したかがわかります。

氷河のあとは、こうした堆積物以外にも氷河地形としての特徴からも見分けることができます。

たとえば、日本アルプスや北海道の日高山脈にも氷河地形の1つである鍋底状の地形(カール)が残っています。

海面の上下

北半球に大氷河ができると、海水は氷結します。そのため海水は減り、海面は下がります。
反対に、氷河が溶けると海面が上がります。

この海面の上下のあとは、海岸の地形に残っています。
海岸では、波が海底を削って平らな面をつくったりその上に堆積物をのせた面をつくっています。

しかし、海面が下がれば、そうした面は地上に出て、いわゆる段丘をつくります。
したがって氷河時代の海面の上下のあとは、段丘に残されています。

日本では、地殻変助による土地の上下が激しいので海面と土地が上下したものを、区別することは、たいへん難しいことです。
氷河時代の繰り返しは、海岸段丘以外のことからも知ることができます。

たとえば、川口近くで、海面の高さが低くなると川のこう配が急になり、川床の浸食が進んで河岸段丘をつくります。

また氷河に直接覆われない地方でも、寒冷性の化石と温暖性の化石が繰り返してくることからも知ることができます。

物界の変化

気候の変化は生物の種類をかえるばかりでなく1つの種類をも、かえることがあります。

たとえば、ゾウなどは、氷河時代の中ごろまで、世界中に広く栄えていました。
なかには、長毛マンモスのように厚い毛皮をまとったものもあらわれました。

人類の祖先は、氷河期のはじめのころあわれたといわれています。
人間には、ほの動物と違って、気候の変化から身を守る知恵を持っていました。

この知恵は、そのほかのいろいろの面でも発達し、現在のようになったのでしょう。



沖積世

氷河時代の終わりから現在にいたる、およそ1万年間の時代を沖積世、完新世、または現代といいます。

沖積世は、氷河時代の最後の寒い気候から、つぎのあたたかい気候になった時代です。
現在にいたるあいだに、あたたかい期間があるところから見て最後の間氷期とも考えられます。
あたたかい期間には、海面は、いまよりも高く、海は陸地へ深く入っていたはずです。

144

たとえば、関東平野のあちこちに見つかる貝塚をたどると図のように、当時の海岸線の様子を知ることができます。

それは、当時(縄文時代)の人が海辺に住んでいて食べた貝がらを捨てたのが、これらの貝塚だからです。

その後、海面は下がり、土砂で埋められて、現在のようになったのです。




モバイルバージョンを終了