噴火
噴火とは、火口からガスや水蒸気といっしょに厚い岩片や火山灰を噴き出すことです。
ガスだけを噴き出す噴気孔や、湯を湧き出す温泉では噴火をしているとは言いません。
噴火の様子は火山によってたいへん違います。
また同じ火山でも、ときによっては噴火のしかたがかわることがあります。
ハワイ式噴火
ハワイの火山の噴火に見られるものです。
爆発は起こらず、非常に流れやすい溶岩が火口や地殻の割れ目から吹き出し、ふもとへ流れ下ります。
その岩流が、畑地や人家を襲って、しばしば、災害を引き起こすこともあります。このような噴火をする火山は、日本には見られません。
ストロンボリ式噴火
小さい爆発をたえまなく繰り返し、噴出する溶岩は、かなり流れやすいものです。
大島の三原山や三宅島・阿蘇山、イタりアのストロンボリ火山などの噴火は、この例です。
爆発が弱いので、火口にかなり近づくことができます。
しかし、しばらく噴火を休んでいたあとの噴火では激しい爆発を起こしますから、決意しなければなりません。
ボルカノ式噴火
ときどき、非常に激しい爆発を起こします。
大小の溶岩のかたまりを火口から数キロも離れたところまで吹き飛ばすことも
めずらしくありません。
浅間山・桜島・イタリアのボルカノなどの火山は、この種の噴火をします。
このような火山は、火口からかなり遠いところでも危険なものですからもっとも注意しなければなりません。
桜島の大噴火
近年になってからの我が国のもっとも大きな噴火は、1914年の桜鳥の大噴火です。
桜島はそれまで、鹿児島湾にある島でしたが大噴火の少し前から激しい地震が起こりはじめました。
そして噴火は、古い火口を通る大きな割れ目の線の上で山の中腹からはじまり、たいへんな量の溶岩を流しました。
流れだした溶岩は、ふもとの畑や部落を埋め、さらに、海に流れ出しました。
そのため桜島は、隣りの大隅半島と地続きになったのです。
このときの爆発も、非常に激しいもので、空高く吹き上げた灰は遠く東京まで流れました。
しかもこの噴火で、鹿児島湾一帯の広大な地面が、1メートルほども沈降したのです。
これは、多量の溶岩が、地下の深いところから流れ出てしまったために起こったと考えられています。
現在の桜島は、中央の火口で1955年から引き続いて爆発を繰り返しています。
そして、日本でもっとも活発な活動をしている火山の1つです。
プレー式噴火
昭和新山や西インド諸島のプレー火山などの噴火に見られるものです。
高温の流れにくい溶岩が、塔のように火口にもりあがり噴火の前も、噴火しているときも、激しい地震が感じられます。
ふつう、火口のまわりの土地が著しく隆起します。
昭和新山
1943年の12月、有珠山一帯は、ひんぴんと強い地震にみまわれ土地の人たちは、有珠山の噴火ではないかと心配しました。
しかしつぎの年の2月ごろから地震はしだいにおさまり、人々は、ようやく安心しました。
ところが5月になると有珠山の東側のふもとの畑地が、もりあがりはじめましたが6月にはついに爆発が起こり、地面の隆起もいよいよ激しくなりました。
そして、高さ150メートルほどの屋根形の山ができました。
1944年の11月ごろになると、こんどは屋根形の山からさらに、まっ赤な溶岩の塔がつきだしはじめました。
そして結局、高さが400メートルもある山ができたのです。
この山は、昭和新山と名付けられました。
ガス爆発
これは、火山の下に熱い水蒸気やガスがたまって、山体の一部を吹き飛ばすものです。
しばらく噴火を休んでいた火山が、とつぜん爆発する場合は
こういう噴火をすることが少なくありません。
1888年7月15日に起こった、福島県の磐梯山の爆発は、この例です。
このときの爆発によって、山体の北半分が壊されました。
そして山体の一部は、山崩れとなって、ふもとに流れ落ち
村落を埋め、多くの人命をうばいました。
また、この山崩れによって、川がせき止められ
小野川湖・秋元湖・檜原湖などの湖ができたことは有名です。
海底噴火
火山は、陸上にばかりあるのではありません。
海の底にも、たくさん火山があって、ときどき噴火することが知られてきました。
しかし、この海底火山の噴火についてはそれほどくわしい調査がなされていませんでした。
そのため1952年9月、明神丸の乗組員が、東京の南方約400キロの海上で海中の噴火を発見したときには、ただちに、飛行機や調査船で、その調査におもむきました。
しかし不幸にも海上保安庁水路部の調査船、第五海洋丸は、海底の爆発にあい。
多くの研究者や乗組員もろともその犠牲になったのでした。
この海底噴火は、非常に激しく危険なものでした。
そしてこの噴火によって、一時は小さな島ができ、明神礁と名付けられました。
しかし、その後、海中に消えてしまいました。