月ロケットの打ち上げ
1959年には、ソ連の3つの月ロケッ卜が、すばらしい成功をおさめました。
宇宙ロケット第1号は、重さ約1トン半という大きなものでした。
衛星は、月から7000キロメートルばかりのところを通過したのち太陽のまわりをまわる最初の人工惑星となりました。
つぎの第2号は、計算よりわずか2~3分しか違わない性格さで月面に命中したのです。
自動惑星間ステーション
ソ連は1959年10月には、第1号とほぼ同じ重さの宇宙ロケットをうちあげ、これを自動惑星間ステーションと名づけました。
この衛星に、月に近づき、月の裏側をまわって写真を撮ってからまた、地球の近くにかえってくるというたいへんな離れ技をやってのけたのです。
はじめてうつされた月の裏側の写真が発表されたときは世界中の人々の驚きは、たいへんなものでした。
人工衛星の回収に成功
アメリカは、いろいろの種類のロケットを実験したくさんの人工衛星をうちあげました。
1960年にうちあげられた、ディスカバリー13号ははじめて人工衛星の回収に成功したのです。
またソ連も同じ年、2匹ぼ犬などを乗せた人工衛星の回収に成功しました。
この人工衛星の回収の成功によって人間が宇宙を飛ぶことのできるあしがかりができたのです。
人間の宇宙飛行
1961年4月12日、ソ連は、人類最初の人間衛星をうちあげ見事に成功しました。
世界最初の宇宙飛行士となったガガーリン少佐を乗せたロケットは飛行時間わずか1時間48分ではありましたがロケット発射のときのたいへんな加速度や飛行中の無重力状態といいた宇宙飛行の大問題に人が立派に耐えられることを証明しました。
ソ連では、同じ年の8月、ボストーク1号が地球を18周することに成功し、さらに翌年には、2つの衛星船をつぎつぎにうちあげて連絡をとりながら飛行するという実験にも成功しました。
このほか、いろいろな実験の積み重ねによってついに人類最初の宇宙遊泳という大偉業がなしとげられました。
1965年にうちあげられたボスホート2号に乗ったレオノフ中佐は宇宙船から5メートル離れた宇宙空間にでて、10分間作業を続けたのち無事船内にもどることに成功したのです。
宇宙で人間が作業することは、2つの宇宙船をむすびつけたり宇宙ステーションをつくりあげるのにどうしても必要なことです。
この成功は、宇宙への進出に大きく一歩足を踏み出したことになります。
ソ連は1967年、いままでにない新型衛星船「ソユーズ」1号をうちあげました。
しかし、地球を18周したところで地上に降下する際パラシュートが開かず操縦士は墜死しました。
この実験の失敗は、はじめて人問を乗せて月のまわりをまわる宇宙船の計画を延期させざるをえませんでした。
ソユーズ1号の失敗後、同じ年の10月にうちあげた2つのコスモス衛星船は、地上からの電波による操縦でけで2つの衛生船をむすびつけるドッキングに成功しました。
さらに1968年4月にも2つの衛生船をドッキングさせることに成功しました。
1969年1月、ついにソ連は、ソユーズ4号と5号の友人衛生船のドッキングに成功しました。
そして、結合した状態のまま飛行を続けているあいだにソユーズ5号のふたりの飛行士が4号に乗りうつるという画期的な実験にも成功しました。
この成功は、ソ連が当面の目標としている宇宙ステーションを開発して、月だけでなく、他の惑星への旅行をする大きな足掛かりとなったのです。