月面探査ロケット
アメリカの月面着陸成功については、月面探査ロケットによる月面調査がかぎりなくすすめられていたのです。
まず1964年7月にうちあげたレインジャ一1号はテレビカメラによる月面の写真織影に成功し1967年の8号・9号といずれも月面の様子を地球におくってきています。
さらにアメリカは、月面をくわしく調査するため一連のルナ=オービターの月衛星をうちあげています。
この衛星は月のまわリをまわる、いわゆる孫衝星といわれるものです。
1966年にうちあげられたルナ=オービター1号は月面写真の試し撮りに成功しました。
そして、つきつぎにうちあげられた月衛星は月の表側だけでなく、裏側の様子も撮影したくさんの写真をおくってきました。
このルナ=オービターとならんで、アメリカは月の地形や地質調査する目的でサ-ベイヤーをうちあげています。
このサーベイヤー月ロケットは月の表面に軟着陸して調査するものです。
とくに、1967年4月にうちあげたサーベイヤー3号同じ年の5月にうちあげた5号の調査によると月の表面は、湿った砂地のようなわりあい柔らかい地面でその成分は地球にもよく見られる火成岩である玄武岩に似ているといわれています。
このような実験によって月面が人間の直陸にも安全であることが確かめられたのです。
実際に月面降りたった宇宙飛行士の話や写真によると月面は細かい炭の粉のように柔らかく色はかっ色であることがわかりました。
ソ連も月面の科学的調光を目的とする月ロケット、ルナをうちあげています。
このロケットは、アメリカのルナ=オービターやサーベイヤーと同じような、月のまわりをまわる月衛星や月の表面に軟着陸して、月の地形や地質を調べるものです。
これら、アメリカ・ソ連の一連の月面探査ロケットはいずれも大成功のうちにおわりたくさんの月に関する資料をえることができました。
惑星ロケット
月を越えて、隣りの惑星である金星や火星を調べるロケットもいろいろ試みられています。
その最初は、1961年にソ連がうちあげた金星1号と翌年、火星に向けてうちあげた火星1号がそれです。しかし、いずれも失敗におわりました。
その後、1965年11月にうちあげた金星2号は金星から2万4000キロメートル離れたところ通過しさらに4日後にうちあげた金星3号は、見事金星に命中しました。
金星3号の成功により、1967年10月にうちあげた金星4号ははじめて金星の表面の軟着陸に成功しいままでよくわからなかった近世の表面や内部の様子を知るうえで貴重な資料を地球に送ってきました。
それによると、近世の大気の濃さは地球の15倍、温度は280度で大部分は二酸化炭素であることが確認されました。
さらにソ連は、1969年1月、金星4号・5万号をうちあげ金星の人気や温度などをよりくわしく調べようとしています。
いっぽうアメリカは、1962年、金星にむけてうちあげたマリナー2号は金星から3万キロメートルのところまで近づき大気の温度などを観測するのに成功しました。
さらに、1964年にうちあげたマリナー4号は火星の上空1万キロメートルのところに達し火星の表面を撮影するのに成功しています。
その写真によると火星の表面にも月に見られる火口のような地形がたくさんあることがわかります。
このように、地球と同じ仲間の金星や火星の調査がすすめられています。
月旅行が実現するころには、つぎの目的であるこれら惑星への旅が、いよいよ本格的に計画されることでしょう。