ニュートンの時代

ガリレオやケプラーたちがはじめた新しい科学に
いっそうしっかりした土台を築いたのはイギリスのアイザク・ニュートンです。

ガリレオがなくなって1年ほど経ったころ
ニュートンはウルズソープという小さい村の自作農の家にうまれました。


そのころ、レオナルドやガリレオをうんだイタリアはもう科学を育てていく力を失くしていました。
ケプラーのいたドイツも、長い戦争で、ひどく弱りはてていました。
そして新しい科学は、新しく興ったイギリスやフランス・オランダのような国々で伸び伸びと、育ちはじめていたのです。

ことにイギリスでは、ニュートンの子どものころにクロムウェル革命がおこり、青年時代には議会政治がはじまりかけていました。

科学者たちは、こういう時代の新しい息吹の中でお互いに研究したことを語りあう集まりをつくるようになっていました。

その中でも「目立たぬ学会」という集まりにはそのころのいちばんすぐれた学者が参加していました。

この学会は、のちに「王立協会」という名前になり、今でも続いています。
ニュートンも、若いころから、その会員になっていました。



研究をまとめる

ニュートンが、反射望遠鏡をつくったり太陽の光が7つの色にわかれるのを発見したことは、よく知られています。
また、いま高校や大学で勉強することになっている徴分学・積分学という数学をはじめたのもニュートンでした。

そればかりではありません。ニュートンは、もっと大きな仕事をしました。

それは、天体でも地球上の物体でも、目に見える物体の運動にはどんな法則があるかということを明らかにしたことです。

また、このような物体の運動を調べるにはいつも万有引力という力を考えに入れなけばならないことをはっきりさせたことも、すぐれた仕事といってよいでしょう。

それまでにも、惑星の運動についてはケプラーの法則がありました。

地球上で、物体を落としたり、投げ合ったりするときその物体がどんな道筋を通るかということについてはガリレオの法則がありました。

また、オランダのクリスティアン・ホイヘンスは振り子の連動の法則について、詳しい研究をしていました。

このほか、空気や水の研究もすすんでいました。

フランスのブレーズ・パスカルたちは、気圧や水圧について、たくさんの研究を積み上げていました。

しかし、このようなさまざまのことがらを、1つの学問にまとめあげその土台にもっと広い、しっかりした法則を見つけ出すことはまだ、誰もやっていませんでした。

これをやり遂げたのが、ほかでもないニュートンだったのです。
ニュートンの研究が出来上がってはじめて、いろいろな自然のことがらの間にもちゃんとしたつながりのあることがわかったのです。