農薬が発達したのはいつ頃? わかりやすく解説!

20世紀の合成化学の進歩は、農業の世界にもたいへん貢献しました。

イネには昔から三大病害虫がつきものでした。
ウンカとニカメイチュウと、そしていもち病です。

たとえば、早植えして台風の最盛期がくる前に取り入れようとすると
ウソカやニカメイチュウのさかりにぶつかるし
肥料をたくさんほどこし多収穫をねらおうとすれば
いもち病にはびこられる、といった具合です。


ところが、まず1949年ごろからBHCがウンカ退治の有力武器としてまた、1952年ごろからは、パラチオンがニカメイチュウにたいする薬として登場。

さらに1953年ごろから酢酸フェニル水銀などの有機水銀剤がいもち病の特効薬として用いられるようになりイネの大敵にすっかりなりをひそめてしまいました。

こうした新しい農薬の開発は、DDTの登場の歴史に遡ることができます。
1874年.ドイツの化学者ツァイドラーがはじめてDDTを合成しました。

しかし、なんの役に立つかもわからずにほうりだされていたのです。

1938年、スイスの化学者パウル・ミュラーは植物の害虫の防除薬を研究中にツァイドラーの研究を知らずに、DDTを合成しさらにこの薬が強力を殺虫対果を持つことを発見したのです。

1943年ごろから、まずアメリカで大量生産にうつされ農作物の害虫駆除からジャングル戦のマラリア蚊の退治、蚊や蠅などの家庭害虫の駆除に広く使われるようになりました。

BHCはDDTにヒントをえて、イギリスの化学者たちが合成したものでDDTの5倍以上も強力な殺虫剤です。

新しい農薬、殺虫剤は人間の生活を豊かにするうえにはかりしれないほどの貢献をしてきましたがいっぽうではその害毒にも注目しなければなりません。

農薬を使いすぎるために、蛍もドジョウも姿を消し昆虫を餌にしている野鳥の姿も見られなくなり自然のつりあいが大きくて破られることも、農薬の害毒の1つです。

また、農民や田畑の近くに住む人たちが恐ろしい農薬中毒にかかるということや戦争で山野を丸裸かにするために農薬を使うということもあります。

科学の産物は、もし間違った使いかたをすれば人類を滅ぼしてしまうような害毒を生むことになるのだということを深く心に刻みつけておきましょう。






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