太陽と地球の間柄
神話には、実際に起こりそうもないことや、理屈にあわないことが述べられています。
しかし16世紀に、コペルニクスが地動説をたててから、科学はぐんぐん進みました。
地球の誕生についても、だいぶ科学的な考えかたが発表されるようになりました。
ここでは、初期に発表された2つの代表的な説を述べましょう。
この2つの説は、いろいろな点で考えかたが正反対ですから注意深く調べてみましょう。
デカルトの説
これは、デカルトという、フランスの数学者が考えた説です。
コペルニクスが、地動説を発表してから100年も後のことです。
宇宙のはじめは、すべてがまじりあっていました。
この中に、3種類の元素(もとになる物質)がふくまれていたのでお互いに、ぐるぐる渦巻きのようにまわりあっているうち同じ物質同士が寄り合って別々の天体ができました。
その第1は、光った元素から太陽と恒星ができ第2は、透き通った元素から天空ができました。
そして第3に、不透明で光を反射する元素から惑星や彗星(ほうき星)ができたと考えたのです。
この説では太陽と地球は同じお腹から生まれた兄弟のような間柄、ということになります。
ビュッフォンの説
デカルトの説が出てから、さらに100年ほど後にフランスの生物学者でビュッフォンという人が、地球は太陽からわかれたものだ、と考えました。
全ての彗星は、遠方から飛んできて、太陽の近くを通り過ぎます。
大昔、その1つが太陽の表面をかすっていって、その部分を削り取ったとします。
ちょうど、円板の淵をかんなで削ったとき削りくずが周囲へ飛び出すのと同じように、太陽の表面から大小いくつかのかけらが、空間をまわりはじめます。
そのようなかけらが固まって惑星となり、そのうちの1つが地球になったというのです。
この説によると地球は、太陽の血肉をわけた子供にあたる間柄ということになります。
2つの説の違い
デカルト節とビュッフォン説とくらべると左の表のように、大切な点で全く違っています。
デカルト | ビュッフォン | |
---|---|---|
説を立てた年 | 1644年 | 1745年 |
地球のでき方 | 星雲が周りながら固まる | 彗星の衝突で太陽からわかれる |
地球のできた時期 | 太陽とほぼ同じ | 太陽よりもあと |
地球のもとの物質 | 太陽と違う物質 | 太陽と同じ物質 |
地球のできる速さ | ゆっくりと自然に | 突然激しく |
原因となった力 | 自分自身の力で | ほかの天体の力で |
この後にたくさんの学者が、それぞれの説を唱えましたが根本的な考えはこの2つの説のどちらかに似ています。
ケプラーの法則
地球は、太陽のまわりを公転しています。
このような天体は、全部で9個あり、惑星といいます。
これらの惑星は、みな共通の点をもっています。
有名なものは惑星の運動に関するつぎのようなケプラーの法則です。
「どの惑星も、太陽のまわりで楕円を描きながら公転し太陽に近づいたときは速く、遠のいたときは遅く動く。1周するのにかかる時間は内側の惑星ほど短い」
太陽系の性質
太陽の万有引力がおよぶ範囲を、太陽系といいます。
ところが太陽系全体についてみますと、万有引力によっても証明しつくせないつぎのような性質があります。
①惑星の軌道の形は、楕円といっても非常に円に近いものです。
②惑星の軌道の位置は、どれも、ほとんど同じ平面上にあり太陽の赤道面ともほぼ同じです。
③惑星の公転の方向は、みな同じ方向で、しかも太陽や惑星の自転の方向とも一致します。
④水星・金星・地球・火星など、太陽に近い惑星は形が小さいが、比重が大きく、自転が遅く、衝星の数は少なくなっています。
これにたいして、木星・土星・天王星・海王星など、太陽から遠い星はその反対の性質をもっています。
⑤惑星の軌道の半径は、だいたい2倍ずつの割合でましています。
そして、軌道と軌道の間隔は、外側になるほど広くなっています。
⑥太陽の重さは、太陽系全体の重さの99パーセントをしめ惑星全部を寄せ集めても重さはごくわずかです。
⑦惑星のまわりで衛星が公転する様子は太陽のまわりで惑星が公転する様子にそっくりです。
以上のようないろいろな性質は、どのようにしてできたのでしょうか。
これは、太陽系の成り立ちかたに関係があります。