エレクトロニクスはほとんどあらゆる科学・技術・産業応分野、また私たちの生活のすみずみまでも大なり小なりの関係をもっています。
ここでは、エレクトロニクスが主役となっている分野にかぎって話をすすめていくことにしましょう。
通信への利用
19世紀までの通信手段としては、1837年にモールスが発明した電信機、1876年にベルが発明し、エジソンによって改良された電話機、そして1895年にマルコーニとポポフがほとんど同時に発明した無線電信機などがありました。
このうち、無線通信は空中を伝わる電波を利用します。
しかし、はじめのころの無線通信は、電波が不安定で雑音も多く安定した無線通信ができませんでした。
さきにお話ししたように、1907年、ド・フォレストが三極真空管の開発に成功しました。
当初は、真空管には電波を検出する検波というはたらきと弱い電流を強い電流にする増幅というはたらきだけしかないと思われていましたが1913年ころには発信する作用もあるということがわかりました。
さらに振動数をかえる変調というはたらきをもたせることもできることがわかりました。
つまり、送信にも受信にも使用でき、しかも非常に安定した通信が可能になったのです。
まず、ラジオが登場しました。
1920年、アメリカのウェスティングハウス社がペンシルベニア州ビッツバーグにKDKA局を建てたのがはじまりです。
そのつぎの年、ニューヨークボクシングの試合をラジオ放送してたいへんな評判をとっだのがきっかけとなり、ラジオは急速に広まっていきます。
1924年には同じくアメリカのゼネラル=エレクトリック社がカリフォルニア州オークランドに建てたKGY局からの放送電波が太平洋をひとまたぎして日本の茨城県平磯にまでとどきました。
日本でも、1925年3月12日、東京放送局(NHKの前身)芝浦仮放送所からJOKAの第一声が流されました。
この日は「放送記念日」に指定されています。
つぎに登場するのはテレビです。
テレビを最初に発明したのはイギリスのジョン・ロギイ・ベアードということになっています(1925年)が今日のテレビとはまるで様子が違うものでした。
現在の方式のテレビ基礎は1933年にロシア生まれのアメリカの電気技術者ウラジミル・ツポリキンが撮像管(アイコノスコープ)を発明したとときにできました。
さて、ラジオやテレビは送信機も受信機もどんどん進歩します。
ことに受信機がトランジシスタ化、すなわち真空管のかわりにトランジスタをくみこむことによってたとえばラジオはポケットサイズ、テレビでは5インチのマイクロテレビといった具合に急速に小型化されました。
ポケットサイズのトランジスタラジオは1956年、5型のマイククロテレビは1956年いずれも日本(ソニー)が世界に先がけて発売しました。
集積回路というのを使うと、さらに小型化できます。
たとえば、タバコの箱の半分ほどの大きさしかないマイクロラジオはすでに市販されています。
テレビについては、もう本格的なカラー時代がきています。
さきにのべたイギリスのベアードは1944年赤・緑・青3色の蛍光体をハチの巣形にならべ3色のピラミッドのようにし、電子ビームを3方向からあてて色つきの像をつくる方法を発明していたのです。
このベアード方式に20万個もの細かい穴を開けたシャドーマスクというものをくみあわせたのがいまいちばん多く使われているカラーテレビ受像方式なのです。
ほかにもいろいろな方式がありますがアメリカでは今述べた方式(NTSC方式)を正式に採用、日本でもこれにならって、1956年12月にNHKがカラーの実験放送を開始(本放送開始は1960年9月)して以来民間放送各社もぞくぞくとカラー放送に踏み切りました。