動力を待つ機械
何台もの機械を、1つの大きな建物の中に備えつけ大きな動力でいっぺんにまわしたらどうだろうと発明家たちは考えました。
これをはじめておこなったのは、イギリス人のリチャード・アークライトでした。
アークライトは川の淵に水力を利用した紡績工場を建てました。
これは動力で機械を運転する近代工場のはじめとなりました。
紡績機や織機の改良は、なお続きました。
イギリスのサミュエル・クロンプトンは1779年ハーグリーブズとアークライトの機械を改良してミュール機をつくりました。
こうなると、工場の機械は新しい動力があらわれるのを待つばかりです。
水力は川の淵でしか利用できません。
どこででも動力をたせろ機械がのぞまれていました。
この望みを満たしたのが、ワツトの蒸気機関の発明でした。
大量生産の芽生え
18世紀の終わりワットの蒸気機関が工場で使われはじめたころアメリカでは、すでに大量生産へ発展する芽が育ちはじめていました。
イギリスは、はじめインド・エジプト・アメリカから綿を買い付けていました。
種子と綿とをわけやすい黒種綿でしたがアメリカでは種子と綿とをわけにくい緑種綿しか育ちませんでした。
このためアメリカの綿は、だんだんインドやエジプトの綿に押されてきました。
これを救ったのは、エリ・ホイットニーという発明家でした。
ホイットニーは、コットン・ジンという、簡単に綿の種子を取り除く繰り綿機を発明したのでした。
これは、まったくすばらしい発明でした。
1台の繰り綿機で、1000~1500人の奴隷がする仕事をしました。
こうしてアメリカは綿の国となりコットンズキング(綿花王)とさえ呼ばれるようになりました。
ホイットニーの発明には、もう1つあります。
彼はアメリカの軍部から、1万丁のマスケッ卜銃の注文を受けました。
このとき彼は、マスケッ卜銃をばらばらにして1つ1つの部品をつくる工作機械を工夫しました。
こうなると、どの銃の部品も同じ寸法になるので部品を自由に取り換えることができるのです。
この部品を自由に取り換えられるということこそ、大量生産へ発展する第一歩でした。
20世紀のアメリカにおける、機械技術の目覚ましい進歩はホイットニーの発明のころから、はじまっていたのです。