水車と風車の発明
紀元前100年ごろギリシアの詩人アンティバトロスの詩に、つぎのような一節があります。
水車が発明されたとき、古代人がどんなに喜んだか、この詩によくあらわれています。
いまは突くことを止めよ
石うすではたらく女たち
鶏が夜明けを知らせてもゆっくり休め
農業の神デメテルが水の精のニンフに命じて
女たちのする仕事をさせているから………
水車はその後、世界各国で長いあいだ使われてきました。
そのあいだに水車大工たちは歯車や軸受など水車でいちばん大切な機械の部分についての知識を増やしていきました。
風車は、いつごろから使われたかは、よくわかりませんが中世ごろには、世界各国で使われていました。
ことにオランダのように同じ向きの風が同じ速さで絶えず吹いている地方ではさかんに使われました。
19世紀のなかば、蒸気機関が使われ出したころでもオランダには1万2000もの風車がありました。
風車も水中と同じように、機械技術の進歩にたいへん役立ちました。
時計の発明
この水車と風車の機械技術を受け継いだのは、時計づくりの職人たちでした。
はじめて機械仕掛けの歯車時計をつくったのは、ドイツ人アンリ・ド・ピックでした。
ド・ピックは、1370年、フランス王シャルル五世に招かれてパリの宮殿の塔に、8年もかかって大きな時計を据え付けました。
この時計は、ときどき故障はしましたが、それまでにつくられたどの時計よりも正確でした。
それから1世紀ほど経つと、ドイツの二ュルンベルクにいたペーター・ヘンラインは金属のばねを使った小型の時計を発明しました。
この時計は、ニュルンベルクのたまごとよばれ、たいへん値段の高いものでした。
金持ちの人たちのあいだでは、宝石と同じように飾り物として、この時計をぶら下げて歩くことが流行ました。
1583年、ガリレオは教会の天井に下がっているランプが揺れていろことから振り子の等時性を発見しました。
そして彼は、振り子時計を考えました。
しかし、本当に役に立つ振り子時計をつくったのは、オランダのホイヘンスでした。
綿が生んだ機械
ルネサンスのころからさかんになったヨーロッパと東洋との貿易は17世紀から18世紀にかけて、ますますさかんになりました。
ことに、イギリスでは織物業がさかんになりいままでの紡績機や織機では仕事が間に合わなくなりました。
すると、これまでの時計の技術を受け継いだ職人たちはつぎつぎとすばらしい紡績機や織機を発明していきました。
イギリス人ジョン・ケイも時計師でしたが1733年、いままでのものより2倍も速く織れる織機を発明しました。
ケイは、縦糸に横糸を渡す魚のような形の杼を改良して手で紐を引っ張れば、杼がひとりで往復するようにしました。
この発明のおかけで、こんどは綿糸が足りなくなってきました。
ハーグリーブスという時計師は1台の機械に8個の紡錘をつけいちどに8本の糸がつむげる、多軸紡績機を発明しました。
この機械のおかげで、イギリスの綿糸の生産高は、いっぺんに200倍にもなりました。