メンデルの研究
親の形や性質が、子に伝わることを遺伝といいます。
オーストリアのメンデルは、エンドウにあらわれている特徴を7つ選びその特徴が、どのように遺伝するかを研究しました。
そして1865年、遺伝のしかたには3つの決まりがあることを発見しましたがその値打ちは1900年まで認められませんでした。
メンデルは「いまに、私の時代がくる」と信じながら、さびしく世を去っていきました。
ついに1900年、オランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマクの3人の学者が、遺伝の法則を再発見しました。
そして、遺伝の3つの法則はメンデルの法則とよばれ学問のうえに大きな問題として浮かび上がってきたのです。
メンデルの法則の利用
遺伝の法則の研究は、家畜や作物の品種改良に、直接役立っています。
イギリスでは、茎が強く、収穫も多く、品質もよいがさび病に弱い小麦の品種とこれとは全く反対の特徴を持つ品種とを掛け合わせて両方のよい特徴だけを持つ、新しい品種がつくられました。
日本でも、金魚のマルコとオランダシシガシラとの掛け合わせで秋錦という美しい金魚をつくりだしました。
また、花や果物の栽培にも、さかんにメンデルの法則が利用されています。
いっぽう、ロシアでは、人工的に交配するのではなく自然におこなわれた交配でできた雑種を利用する方法が実験されました。
寒さに弱いライムギの品種を、ほかのたくさんの品種といっしょにまいておいたところその中から、寒さに強い品種がうまれたのです。
遣伝の研究と進化論
オランダのド=フリースは、マツヨイグサを十数年も栽培しているあいだにオオマツヨイグサ・ヒロハマツヨイグサなど数種の新しい品種があらわれたことを発見し生物の突然変異説を唱えました。
しかし、この生物の突然変異はダーウィンの進化論でうまく説明することができませんでした。
そして、遺伝の研究がすすむにつれて、ダーウィンの進化論にもいくらか改めなければならないところができてきました。
また、ダーウィンと違った進化論もいくつかあらわれました。
メンデルの研究がもとになって発達した遺伝学ではうまれてからのちにてきた性質は、遺伝しないということになっています。
ところが近ごろは、またべつの考えもあらわれてきています。
アメリカのバーバンクやソ連のミチューリンはうまれてから後にかわった性質も、遺伝するという考えをのべています。
そして、さまざまな作物や草花や果樹をつくりかえることに成功しました。