X線の発見はいつ頃? ラジウムの発見はいつ頃?

科学の進歩

クルックス管の謎

1874年、イギリスの物理学者クルックスは、クルックス管を発明しました。
これは2つの電極をガラス管にふうじこめ、管内の空気を抜いて真空の状態に近づけたものです。

そして、この2つの電極に直流の高電圧を加えると陰極から陰極線がでて、真空放電がおこるのです。

1895年の末、ドイツのビュルツブルク大学の研究室でレントゲンはこのクルックス管の研究をしていて不思議なことを発見しました。

あるときレントゲンは、実験の準備をしていました。

部屋を暗くしてクルックス管か黒い厚紙でおおい光がもれるかどうかを試すため、クルックス管のスイッチを入れました。

光はどこからももれていませんでした。しかしそのとき、彼ははっとしました。

隣の机の上に置いてあったシアン化白金バリウムを塗った紙が、ぼんやり光っていました。

この紙は、光にあたらなければ光らないのです。
そこで彼は「もし光があるとすれば、このクルックス管のほかにはないはずだ」と考えました。

こうしてレントゲンは、クルックス管からいままでまったく知られていなかった光が出ていることを発見しました。

そして彼は、その光線を「まだよくわからない光線」という意味でX線とよびました。
のちにこのX線はレントゲンの名前を記念してレントゲン線とよばれるようになりました。


ウラニウム線の発見

そのころ、フランスの有名な科学者アンリ=ポアンカレは「クルックス管ばかりでなく、蛍光を発する物質は、すべてX線を出すに違いない」という意見を発表しました。

もちろん、この意見は間違っていました。

しかし、ほかでもないポアンカレの意見だったのでたいていの科学者は、その意見を信じてしまいました。
そういう学者のひとりに、フランスのアントワーヌ・アンリ・ベクレルがいました。

ベクレルは、ポアンカレの間違った意見にしたがって実験をすすめているあいだに「太陽の光を受けて蛍光を放つウラニウム塩も光を受けないウラニウム塩も、ともに写真乾板によく感光する」ということを発見しました。

つまり、ベクレルは、ウラニウムからも不思議な光が出ていることを発見したのです。

ウラニウム線もX線も「目に見えない、写真乾板を感光させる。空気に電気が通るようにする」というはたらきがあります。

このようなはたらきは、後に放射能と名付けられました。

しかしウラニウム線は、X線のように人間の体などを突き抜けることはできません。
そのかわり、ウラニウムやウラニウムの化合物は光をあてたり、温めたりしなくても自然にウラニウム線を出していることがわかってきました。



新しい元素を追って

ウラニウムの放射能には、不思議なことがありました。
ウラニウムの鉱石からウラニウムをとった残りかすがウラニウムより強い放射能をもっていることです。

キュリー夫人は、このかすを調べてみました。
そしてウラニウムのほかに、トリウムも放射能をもっていることがわかりました。
しかし、それでもウラニウム鉱の放射能の強さを説明することはできません。

ここでキェリー夫人は
「これらの鉱物の中には、ウラニウムやトリウムより強い放射能を出すいままでに知られていない新しい元素がふくまれているのではないだろか」と考えました。

そして、夫ピエールの協力を得て、その元素を探しました。
1898年、ついにキュリー夫人は、強い放射能を出す新しい元素を発見しました。

そして、それにポロニウムという名前をつけました。

自分で壊れる原子

この発見からわずか5か月後にキュリー夫妻はもう1つの元素があることをつきとめました。

その元素は、化学的にはバリウムという金属に似ていてウラニウムより数百万倍も強い放射能を餅、亜鉛鉱や蛍光板に蛍光を出させることができます。

キュリー夫妻にこの元素に、ラテン語の光という意味の言葉からラジウムと名付けました。
そして原子量をはかり88番目の元素として元素表へ書き入れました。

研究がすすむにつれて、ますます不思議なことがわかってきました。
ラジジウムに、アルファ線・ベータ線・ガンマ線という3つの放射線を出しながら、ほかの元素にかわり最後には鉛とヘリウムになってしまうです。

これまでの科学者たちは「原子は壊れないもの、元素はかわらないもの」と考えていましたから、驚いてしまいました。

キュリー夫妻のこの発見がきっかけとなって原子についての科学は、にわかに進歩しはじめました。




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