電池の発見の歴史
1780年に、イタリアの解剖学者ガルバーニが、偶然の機会に解剖したカエルの足が電気的に痙攣したのを見て、興味を覚えました。
研究の末、カエルの足を強く痙攣させるには、2種類の違った金属をつなぎあわせその両はしをカエルの足の筋肉にふれればよいことに気づきました。
ガルバーニはその原因を、カエルが電気をもっているからだと考えました。
イタリアの物理学者ボルタは、ガルバーニの説明に疑問を持ちました。
ボルタは、つなぎあわせた2種の金属が、この電気の本当の原因でありカエルはどうでもいいのだと考えました。
彼は、銀板と亜鉛板の間に、塩水でぬらした布をはさんだものを数十組積み重ねそのいちばん下の板といちばん上の板を針金でつなぐと電流がえられることを発見しました。
これは、ボルタの電たいと言われますがこの発見で彼はガルバーニのカエルの足はぬれた布という意味しかもたないことを明らかにしました。
そして、ボルタはさらに液体の中に1種の違った金属板を入れてそこから電流を取り出す電池をはじめて発明したのでした。
それは、ボルタの電池とよばれています。
ボルタの電池
ボルタの電池とは希硫酸の中に、銅と亜鉛との板を立てた、ごくかんたんなものでした。
実験
ガラスのコップに希硫酸を入れ、その中に銅板と亜鉛板を離して立てます。
銅板と亜鉛板を銅線でつなぎ、その間に豆電球を入れるとはじめはよく電流が流れ、豆電球がつきます。
しかし、しばらくそのままにしておくと、豆電球の光は暗くなってしまいます。
硫酸(H2SO4)の場合には、つぎの式でしめすイオンができます。
H2SO4→2H+ + SO4—(硫酸イオン)
H+ は銅板のほうにいき、銅板に+電気をあたえSO4—は亜鉛板からでる亜鉛イオン(Zn++)と結合して硫酸亜鉛(ZnSO4)をつくります。
このため、銅線中には、銅板から亜鉛板にむかって電気が流れ、豆電球がつきます。
電池とは、このように物質の化学変化を利用して電流をつくりだすしくみになっています。
ボルタの電池は、銅板のところにできた水素ガスが泡になって外に出てくれません。
そのため、水素ガスは銅板の表肉にくっついて硫酸と銅板があまりふれなくなるようになります。
すると、電気が通りにくくなり、豆電球は暗くなるのです。
このように、電池の極板に気体の泡がつくような場合にはこのガスができないように、適当な物質を電解質溶液に加えてやる必要があります。
このような物質を、減極剤(消極剤)と言っています。