プラネタリウムの歴史
世界で最初にプラネタリウムをつくったのはドイツのカール=ツァイスという光学会社のバウエルスフェルト博士です。
これが、はじめてミュンヘンの博物館に取り付けられたのは1923年10月のことでした。
それに引き続きドイツ各地でつくられ機械もだんだん改良されていきました。
しかし、残念ながら、第二次世界大戦のためにほとんど壊されてしまう、残ったのにミュンヘンとツァイス社のあるイエナとハンブルクのものだけになってしまいました。
戦争がすむと、ドイツは2つにわかれ東ドイツと西ドイツになりましたが、もともとツァイス社のあった東ドイツのイエナから西ドイツにうつった人たちでオーベルマッフェンというところに新しいツァイス社で、世界中に売りだしています。
ツァイス以外にも、アメリカのサンフランシスコにあるモリソン=プラネタリウムやエルクトンのスピッツのものなどが知られています。
日本のプラネタリウム
日本でいちばん古いのは、1937年大阪に備え付けられたツァイスの機械で、いまでも残っています。
その翌年、東京にもつくられましたがこれは戦争のときに壊れてしまいました。
1957年、東京の渋谷に西ドイツのものが取り入れられ1960年には、明石市に東ドイツのものが備え付けけられました。
国産のプラネタリウムもできるようになりましたがまだまだツァイスの機械にはおよびません。
さらに小型でレンズも使わず惑星も動かないかんたんなプラネタリウムもつくられています。