頑固なキリスト教
キリスト教をおおやけに信じてもよいようになったのは1600年ぐらい前です。
そして、たちまちのうちに、ヨーロッパ中に広まりました。
しかし、このキリスト教は、科学の味方ではありませんでした。
キリスト教を信ずる人たちは「聖書に書いてあることは、絶対に間違いがない。
自然のいろいろなことを研究しても、本当のことはわからない。
なぜならば宇宙は神様がお作りになったのだから」ということを信じていました。
そのため「地球はまるい」というギリシアの科学者たちが明らかにしたことにたいしても、反対しました。
そして「地球は平たく、宇宙の中心にあるのだ」という考えを広めました。
科学と神学
今から700年ぐらい前です。
トマス=アクイナスという、キリスト教を熱心に信じている学者があらわれました。
アクイナスは、アリストテレスやプラトンの考えを取り入れてキリスト教の学問(これを神学といいます)をつくりあげました。
5月は、まったく科学とかけ離れた学問でした。
しかし人々は、神学の勉強がいちばん、大切なものだと考えました。
また、本当の科学のかわりに、星占いやつまらない金属を金や銀にかえようとする錬金術などの偽の科学もさかんになりました。
そのころ、さかんに読まれた動物物語には「頭がライオンで、体は蟻の形の動物がいた」などと書いてあります。
このように、ヨーロッパでは本当の科学をかえりみないような時代が数百年も続きました。
折角ギリシア人がつくりあげた科学の知恵は、ほとんど忘れられたままだったのです。
ギリシアの科学を受け継いだアラビア人
ヨーロッパでは、まだまだ科学は暗闇の中にありました。
このころ、ヨーロッパの東のほうでは、アラビア人が活躍していました。
アラビアの文化が栄えたのは、およそ1200年ぐらい前から900年ぐらい前までの300年のあいだです。
ギリシアの学問とアラビア人
アラビア人は、ギリシアの科学を研究しました。
アラビアの町、ダマスカスやバグダッドには、天文台や科学の研究所がつくられました。
ここで、ギリシアの科学の本がどんどんアラビア語に直され、研究されました。
もちろん、そのまま暗記したり、信じこんだりしたのではありません。
内容をよく調べ、間違ったところは直しました。
新しいことを発見すると、付け足したりしたのです。
このように、ギリシアに栄えた科学は、アラビア人に受け継がれ後になって西ヨーロッパヘ伝えられました。
アラビア人のほかにギリシアの科学を受け継いだのはずっと後に、東ヨーロッパに栄えたビザンチン帝国の人々でした。
アラビア数字
アラビア人は、ギリシア人からだけでなくインド人からも、いろいろな知恵を受け継ぎました。
とくにインド人が発明した0の記号と、1,2,3……などの数字はアラビア人の手で西ヨーロッパに伝えられたのでアラビア数字といわれるようになりました。
位どりの原理を使って、どんな数でも表わせるアラビア数字は数学の計算に非常に便利です。
この数字の発明は、科学のうえでの、非常な手柄です。