ルネサンスのころのヨーロッパの科学の兆しとは? わかりやすく解説!

科学の進歩

十字軍と西ヨーロッパの夜明け

ヨーロッパに、ふたたび科学の火が燃えるときがきました。
そのころ、キリスト教を信じる人々の間には一生のうちにいちどは、キリストの墓にお参りする習わしがありました。


キリストの墓は、エルサレム(今のイスラエルの首都)にあります。
人々は、エルサレムまで長い旅を続けました。

ところが、11世紀の中ごろから、トルコ人がエルサレムを占領しお参りの人々を苦しめるようになったのです。

ヨーロッパのキリスト教を信じる人々は十字軍をつくり、エルサレムの土地を奪い返しに出かけました。

そして、アラビア人が非常にすぐれた文化をもった民族であることを知りました。
いままで、キリスト教を信じない民族は野蛮だと思っていたのが全く違っているのに、びっくりしました。

また、イタリアのベネチア・ジェノバ・ピサをはじめミラノ・フィレンツェなどの都市は、東方諸国とさかんに貿易はじめました。

十字軍の遠征とこの貿易のおかけで、ギリシア文化は西ヨーロッパにもちこまれました。
こうしてヨーロッパではギリシアやアラビアの科学を研究する人がたくさんあらわれました。

そして、イタリアのサレルノ・パドバ・ボローニャなどに大学がうまれました。
続いて、フランスのパリ大学、イギリスのオクスフォード大学、ケンブリッジ大学などがつくられました。

このギリシア文化の再発見を、古いものが新しいものにうまれかわるという意味で「ルネサンス」とよんでいます。

ルネサンスは、14世紀のはじめごろイタリアにはじまりだんだん西ヨーロッパに広がっていきました。



びっくり博士

ギリシアの科学を研究する人の中に、ロジャー=ベーコンという人がいました。

ベーコンはイギリスの坊さんで、非常に物知りでした。
人々は、「びっくり博士」というあだ名をつけました。

またベーコンは、人間がひとりで動かせる大きな船や鳥のように空を飛び回る機械、馬や牛にひかせなくても自由に走る車などができないものかと考えていました。

中国で発明された火薬のつくりかたを、はじめて知ったのもベーコンです。

新しい技術と科学

中世の職人や農民たちは苦しい生活の中で、少しずつ技術を進歩させていました。

農民は、すきやくわなどの農具を改良し、水車大工は歯車や軸受などのような
機械のもとになるものを研究していました。

ドイツのド=ピックのように、歯車時計を発明した時計師もいました。
15世紀の終わり頃になると、ドイツのシュバルツは火薬を究明しグーテンベルクは活字印刷術を完成していました。

また、イタリアのフラビオジョーヤが、航海用の羅針盤をつくりました。
このころになると、新しい航路がぞくぞく発見されました。

コロンブスのアメリカの発見に続いてバスコ=ダ=ガマはアフリカの希望峰をまわってインドにいく航路を発見しました。

また、マガリャエンシュ(マゼラン)ははじめて世界を一周して地球がまるいということを証明しました。

こうして科学の研究は、ますますさかんになりギリシアのころのように、科学だけの研究でなく科学が実際に役に立つ技術と結びつくようになったのです。

新しい科学の時代が目の前にきたのです。




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