夢からうまれた斜面の法則
大昔から人類は「少しでも楽に仕事をしたい」という夢を抱き続けてきました。
この夢は「永久機関」をつくろうという努力にかわりました。
永久機関というのは、外から力を加えないでも自分の力で回転して、いつまでも仕事をしてくれる機械のことです。
16世紀の終わりごろ、オランダのシモン=ステビンという科学者はつぎのような永久機関を考えました。
図のように、②の辺が①の辺の長さの2倍になるような直角三角形を考え③の辺が水平になるようにおきます。
これに14個の同じ重さの球を、あいだが同じになるようにくさりにつないで
この三角形にかけます。
「下にぶら下がった8個は、辺の上にのっている4個と2個の球のつりあいには関係がないから、4個と2個のつり合いだけを考えればよい。
4個の球は、重さが2個の球の2倍になるから、くさりは4個の球のほうへ引っ張られこのくさりは、①から②の方向へ動くに違いない」
ところが実際にやってみると、くさりに、びくとも動きませんでした。
そこで、ステビンは、そのわけを考えはじめました。
そして「4個の球が乗っている辺の長さが2個の球が乗っている辺の長さの2倍になっているときは4個の球の重さのはたらきと、2個の球の重さのはたらきは同じになる」ことを発見しました。
こうしてステビンは、斜面の法則を発見し、さらに研究をすすめ、それを1冊の本にまとめました。
そして彼は、その本の表紙にこう書きました。
「これは不思議だ。だが、ちっとも不思議ではない」
エネルギー保存の法則
ステビンが永久機関の夢を破ってから、仕事についての研究がはじまりまもなく科学者たちは、仕事の量をはかる法則を見つけだしました。
そして、エネルギーという考えにすすみました。
ポールを投げて、そのボールが軽いものにぶつかると、それを跳ね飛ばします。つまり、ボールは仕事をしたわけです。
このように、仕事をすることができる能力を、エネルギーといいます。
エネルギーという言葉を、はじめて使ったのは19世紀のはじめ、イギリスのトーマス・ヤングでした。
そして1847年には、ドイツのヘルムホルツは、エネルギーについての法則を発見しました。
大きさも重さも同じ、2つの球を用意し、滑らかな面の上に1つの球を置きます。
もう1つの球を転がして、止まっている球にあてると動いていた球は止まり、止まっていた球が動き出します。
つまり、動いていた球は、自分のもっていたエネルギーを失います。
そのかわり、止まっていた球は、そのエネルギーを受け取って動き出したのです。
すると、こういうことが言えます。
「エネルギーは、こちらで減れば、必ずあちらで増えます。そして、全体のエネルギーは減りも増えもしません」
これを、エネルギー保存の法則といいます。