自然の階段
アリストテレスは、紀元前四世紀のギリシアで、いろいろな学問のもとを築きました。
動物や植物についても、はじめて筋道の通った仲間わけをした人だといえるでしょう。
仲間わけしているうちにアリストテレスは、つぎのようなことに気がつきました。
「生物はちょうど階段を1段ずつ昇るように、かんたんなものから複雑なものへ、順に並んでいる」
そこで、アリストテレスは、これを「自然の階段」と名付けました。
しかしアリストテレスは「生物は、時が経つにつれて、かんたんなものから、複雑なものにかわってきた」と考えたのではありません。
「生物は、時が経つにつれて変化し、いまのような姿になった」
このような考えかたを、生物の進化といいます。
進化の考えは、アリストテレスよりも、ずっと後でうまれたものです。
交通の発達と進化論
世の中が発達し産業や商業がおこると、交通もさかんになります。
たくさんの人が、遠く離れた土地まで商売に出かけます。
そして、その土地の珍しい生物の話が伝わってきます。
交通を便利にするために、運河がつくられます。
レオナルド・ダ・ビンチは、運河を掘るときに見つかった化石に強い関心を持ちました。
18世紀になると、産業や商業は、ますます発達しました。
ヨーロッパの船は、世界中に航海して商売の道を広げました。
そして、珍しい生物は、話だけでなく、捕まえられて、つれてこられました。
分類学のもと
この時代に、スウェーデンのカール・フォン・リンネは世界各地からたくさんの生物を集め、名前をつけて、きちんと仲間わけをしました。
動物や値物の仲間わけが学問らしい形を整えたのはリンネのおかげだと言っていいでしょう。
そのころ、キリスト教は、まだ大きな力をもっていました。
ところがキリスト教では、空も海も陸も、動物も植物もみんな数千年まえに、6日のあいだに神樣がつくったものでそのときから、少しもかわっていないと教えています。
リンネも、そう思っていました。
しかし彼はたくさんの生物を調べた後に生物はかわるものではないかと気がついていたようです。
生物は、よく環境にあったしくみをもっていることも、わかってきました。
エダシャクトリムシが、驚くほど木の枝に似ていること砂漠のサボテンが、水分の蒸発をふせぐように、葉を棘にかえていることなどこのような例はいくらでもあります。
ビュフォンという人は、生物をこんなにうまくつくった、神様の知恵に感心しました。
そして神様を褒め称えようと、このような例をたくさん集めました。
ところがこれらの例が、後で、生物の進化を確かめる材料になってしまったのです。
地球に歴史がある
人々はやがて、太陽系で地球のできかたに考えをめぐらすようになりました。
フランスのビュフォンやラプラス、ドイツの哲学者カントなどは地球がどうして出来たかを説明しました。
この説明には、ずいぶん間違ったところもありました。
しかし、この人たちの考えは、地球は神様のつくったものでかわらないという。
キリスト教の考えかたとは、まったく反対に地球にも歴史があることを人々に知らせることに役立ちました。
イギリスのジェームズ・ハットンは18世紀の終わりに地球は長い歴史をもっていることを明らかにしました。
チャールズ=ライエルはそれを受け継いで、地質学を立派な学問に仕上げました。
ウィリアム・スミスは、レオナルド・ダ・ビンチと同じように運河を掘る仕事をしながら、化石の学問をすすめました。
そうして化石は、昔生きていた生物の死骸であることが、はっきりしたのです。
そこで、地層の古さが化石でわかるようになりました。
この化石は、生物が時とともにかわってきたことをはっきりと物語ってくれます。
生物学がすすむ
ラマルクというフランスの生物学者は、進化がどうして起こるかを説明しました。
たとえば、キリンの首が長いのは、高い木の上のわか葉を食べようとして首や足を伸ばし、それを何代も続けていたためだというのです。
洞穴の中には、目のない動物が住んでいます。
光がないので目を使う必要がなく、何代か後には目のない動物ができてきたというのです。
このように生物の体で、使う部分は発達し、使わない節分は退化していきこの性質が子どもに伝わっていくというのが、ラマルクの進化論です。
19世紀になると、ラマルクなどによって生物の研究は、ますます、すすんできました。
種類の違う生物でも、形やしくみが共通しているところが多いことがわかりました。
また、大人になると全く形が違うものでも成長のごくはじめのころは、よく似ていることもわかりました。
こうして、ダーウィンの進化論の出る前に、世の中がすすみ学問が発達して、その証拠を裏付けるものが、たくさん集まっていたのです。