天然記念物とは? 天然記念物の指定と目的とは?

天然記念物

いろいろな土地へ旅行すると天然記念物と書かれた立て札があるのに気づくことがあります。

この天然記念物という言葉は1804年にドイツのアレキサンダー=フォン=フンボルトが最初に言いはじめたものです。

ドイツの天然記念物保存局の初代局長になったコンベンツ博士によると、「むかしからその土地にあって現在も残っている原始林や原野をはじめ、動物・鉱物をふくむ自然物のうち、それが、まわりのありさまがかわってしまっても、そこだけはもとのままの姿で残っているようなもの」を指しています。


天然記念物の目的

近代的な文明が発達し土地を開発していろいろな産業をさかんにしていくようになると自然の動物・植物はどんどん減って、なくなってしまいます。

そこで、国や1つの地方の自然のうち大切なものは法律によって保存し、開発によって壊されないよう、また、絶やされないようにすることが必要になり、まず、ドイツでそういった運動がはじまりました。

日本では、1919年(大正8年)に史跡名勝天然記念物保存法ができました。
植物学者の三好学博士、貴族院議員の徳川頼倫という人たちが努力した結果です。

はじめのころは、珍しい大木、きれいな花、奇妙な植物などが天然記念物になりましたが、最近のように土地の利用・開発が激しくなると、そういうものよりも、とにかく日本の国の自然を、なんとか少しでも多く、広く残そういう目的のほうが強くなってきました。

1950年(昭和25年)には、文化財保護法にあらためられ1968年(昭和43年)6月からは新しく文化庁ができて、そこの文化財保護部がこの仕事を受け持っています。



天然記念物の指定

天然記念物は、各地方からの申し出のほかに文化庁が調べたものの中から、動物・植物・鉱物の、それぞれの専門学者の意見を聞いて選ばれます。

学問上大切なものはもちろんのこと日本の国の自然を記念するのに充分な価値があるものもふくまれています。

天然記念物の指定基準は、つぎに述べる通りですが、その基準にしたがって、1920年(大正9年)から1968年までのあいだに指定された天然記念物は、全部で849を数えます。

そのうち、動物は137、植物では651あります。

天然記念物のうち、とくに大切なものは特別天然記念物に指定されます。
これは国宝と同じで、とくに大切に保護されています。

私たちが生物を採集し、標本をつくって研究を続けいくのは第一には、その生物が育っている時期や場所の様子,ほかの生物との関係、生物の広がり具合などをくわしく調べ、その生物が、いつ、どこに、どんな生活をしているかを知るためです。

第二には、その生物の標本をつくって、その形をよく調べ、その生物の種類を確かめるためです。

そして、これらの知識をもとにして、1つ1つの生物について、もっとくわしく、体のつくり、はたらき、増えかた、生活のしかたなどを研究していくのです。

すなわち、生物の採集は、生物の研究の入り口なのです。




植物を気候からの影響から保護する方法とは? わかりやすく解説!

気候からの保護

作物は、気候とふかいつながりがあります。
作物の育ち具合は、気候によって決まるほどです。

日でり、大雨、強い風、霜やひどい寒さなどは、みな作物に害をあたえます。
私たちは、このような害から作物をまもってやらなければなりません。


寒さからの保護

時期はずれに、ひどい寒さがくると、作物は、ひどい害を受けます。

たとえば、春遅く、霜が降ったりするとビワやそのほかの果樹の芽や野菜の苗などが枯れてしまいます。

このような寒さから作物をまもってやるにはササを立てたり風よけを立てたりします。

また畑で、もみがら・わら・草などを燃やして煙を出し気温が下がるのをふせぎます。

苗床などは油紙・よしず・ビエル・むしろなどでおおいをして保護します。

また、熱帯植物のように、とくに寒さに弱いものは冬の寒さからまもるために、温室に入れます。
また、大きな木などは、幹に、わらなどをまきつけてやります。

風からの保護

強い風にあたると、作物は吹き倒されてしまいます。
また、風のために、急に気温が下がったり空気が乾いたりして作物が傷むこともあります。

そこで、防風林をつくったり、畑のまわりに防風しょうという、風よけをつくってふせぎます。

日でりからの保護

日でりになって、長いあいだ雨が降らず土地が乾きすぎると作物は枯れてしまいます。

こんなときは、土地をよく肥やして根が地下に深く入るようにしたり、水をかけてやったりします。

また、わらや枯れ草を地面に敷いて土の水分が蒸発するのをふせいでやります。

雨からの保護

日でりと反対に、あまり雨が降り続くと土の中の水分が多くなりすぎて、根のはたらきが悪くなります。

このようなときは、畑のあぜを深く掘って、水はけをよくしてやります。




森林の育てかたとは? 木や作物の病害虫とは? わかりやすく解説!

私たちと森林

森林は、木材をつくってくれるほかにも、大切な役目をもっています。
その1つは、大水や山崩れをふせいで土地があれるのをまもってくれることです。

また、いろいろな動物の住み家をつくってくれています。

さらに、森林は気候を和らげ空気をきよめ自然の美しさを見せてくれ私たちの健康をまもり休養やなぐさめをあたえてくれるのです

ところが、世の中が進むにつれて森林はしだいに少なくなり木材が足りなくなったり大水や山崩れなどの災害が起こるようになりました。

そこで、いまでは、山に木を植え森林を育てるなど私たちの手で森林をつくるようになりました。

日本では、とくに重要なところにはえている森林を保安林として、これを水源かん養林・砂防林・防雪林・防風林・風致林など17種類にわけ、大事に保護するよう法律で定めています。


森林の育てかた

森林を育てるには、樹木が自然にはえ育つのにまかせる方法と苗木を植えたり種をまいたりして、人工的に育てる方法とがあります。

エゾマツ・トドマツ・ツガなどの森林は木を切るときに、少し残しておきます。

こうしておくと、種が地面に落ち、それが芽を出すようになります。
また、焚き木などをとる雑木林では切り株から、しぜんに芽を出すのを育ててやります。

しかし、たいていの森林は種をまいたり、さし木をしたりして苗木を育て、これを山に植えます。

直に種をまく方法もありますが、これはたくさんの種が必要なので、あまりおこなわれません。

森林の手入れ

木が小さいうちは、雑草に負けないように下草をかり、からみついたつるを切り払う、つる切りなどをしてやります。

エゾマツなどのように、しぜんに落ちた種が芽生えたのを育てるような場合には除伐をします。

これは木がこみすぎたり、ほかの木がはえてきたりしたのを切り払ってやるのです。

木が育ってくると、あいだがこんできます。
このときは、ところどころの木を切ってやります。

この作業を間伐と言い、なるべく育ちの悪いものや病気や虫の害を受けているものなどを、切るようにします。

木が大きくなると、下のほうの枝は、だんだん力が衰えてきます。
このような枝は、切ってしまったほうがよいのです。
これを枝うちと言い、なるべく幹に傷をつけないように切り落とします。

木や作物の病害虫

人間や動物に病気があるように、植物にも病気があります。
植物の病気は、ほとんどがカビの仲間の寄生によって起こります。

この害はたいへん大きいので私たちは役に立つ植物を病気から守ってやらなければなりません。

木や作物の病気にはたくさんの種類がありますがそのなかで、おもなものをあげると左の表のようになります。



病気のふせぎかた

病気のふせぎかたには、大きくわけて2つの方法があります。

1つは、病気が出ないようにする予防であり、もう1つは病気が出てしまった場合、消毒などで病気が広がらないようにする方法です。

病気の予防

まず、種は、まくときに必ず消毒します。

また、畑のわきなどにはえている雑草などは病原菌の仲立ちをしますから、できるだけ取り除きます。

畑の作物では、まえの年に病気のでた畑には、なるべく同じ作物をつくらないことです。

どうしても、同じ作物を2年続けてつくらなければならないときは畑の土を消毒します。

つぎには、畑でも林でも手入れをよくして丈夫な病気にかかりにくい作物をつくることです。

作物の肥料のうち、カリ肥料は病気をおさえるはたらきがあります。
しかし、窒素肥料は多すぎると植物の体ばかり伸びてやわらかく育つので、病気にかかりやすくなります。

モモやナシなどの果物は、ふくろをかけることによって病気や害虫をふせぐことができます。

病気をふせぐのに、いちばん大切なことは病気にかからないような強い品種をつくりだすことです。
そのためには、これからも病気に強い品種の研究を進めていかなければなりません。

病気の駆除

病気にかかってしまった場合には、その病気がほかのものに広がらないようにしなければなりません。

これには、まず、病気にかかったものを抜き取ったり斬り倒したりして、焼き捨てることです。

そして、その植物のあった場所を病原菌が残っていないように薬で消毒します。

もう1つの方法は、病気にかかった植物に薬をかけて消毒することです。
このような消毒は、トマトの疫病やキュウリのべと病などのように病気にかからないうちから、予防をかねてやることもあります。

消毒に使うおもな薬はボルドー液・ポリオキシン・ダイセン・石灰硫黄合剤・PCP剤などです。

もちろん、どの薬を使うかは、病気によって決めなければなりません。

害虫からの保護

森林の木や田畑の作物には、たくさんの種類の害虫がつきます。

これらは、たいてい昆虫ですがクロルピクリンやスミチオン・デナボン・二コチン剤などの薬を使ってふせぎます。

また、森林などでは、害虫をとって食べてくれる鳥類(益鳥)を保護して増やしてやります。




動物と文明との関係とは? 鳥・獣・魚・貝・昆虫の保護とは?

動物と文明

人間も、動物の一種ですが、頭のはたらきは、ほかのどんな動物たちよりもすぐれています。

そして、ほかの動物が考えることもできない弓矢・鉄砲などを発明しました。


これらを使って立ち向かえば、どんな大きな体の動物でも強い力を持つものでも、倒すことができます。

百獣の王と言われるライオンでも、鳥類の王様とよばれるワシでも陸に住む動物のうちで、いちばん大きいゾウでも、またゴリラでも動物どうしのあいだでは、いくら強くても人間にあっては、とうてい、適いません。

そのうえ、人間は、年ごとに人口が増えていくために森や林を切り開き、沼や池、海などを埋め立てて自分たちの住む場所を広げていきます。

また、空には飛行機が飛び、陸には自動車や電車が走り海には船がかようようになったので、動物たちは住む場所が少なくなるとともに、だんだん住みにくくなってきて野山の動物は減るばかりです。

日本では、明治になるまでは、人口がいまよりずっと少なく将軍や大名のほかは、鳥や獣をとって暮らしを営んでいる狩人しか狩りをすることは許されていませんでした。

ですから、野山には動物がたくさん住み、鳥にしても人里近くにはキジやウズラ、山に入ればヤマドリ、冬にはガンやカモが、数えきれないほど、たくさんわたってきました。

ところが明治維新になり、それまでのいろいろの制度が、いっぺんにあらためられたり、なくなったりしました。

自然に住む動物たちを守る制度もなかったので動物たちは、とられるばかりで全滅したり、滅びかけたものが、たくさんでてきました。

その後も、弁明が進むにつれ、野生の動物は減るばかりで明治以前は鳥にしても近海のクジラにしても外国人たちが驚くほどたくさんいたのに、いまでは、たいへん少なくなっています。

それで野生の鳥や獣・魚・貝などの保護に、つとめなくてはならないありさまなのです。



鳥・獣の保護

1892年には、いまの狩猟法という法律のもとになる決まりができて、とってはいけない鳥、つまり保護鳥が決められました。

そののち、保護鳥ということをやめて、それと反対に、とってもよい鳥や獣の種類や時期をきめ、そのほかは、いっさいとってはいけないことにしました。

けれども、国の掟を守らず、とってはいけない鳥や獣を、こっそりとったり、とる時期にならないうちに、とったりする人がいました。

ことに、第二次世界大戦のころからそのあと、1、2年にわたって、国内での食料不足をよいことにして、こっそりとるものが増えました。

また、燃料不足や耕地不足のために森林の木を切ったり池を埋めたてたりして鳥や獣の住む場所をとりあげてしまったので、さらに減ってしまいました。

これではしかたがないので、狩猟法があらためられ、かすみ網を使ったりして大量に鳥をとってはいけないことになりました。

それでも、年々、鉄砲で猟をする人の数が増えているので鳥や獣は、やはり減っていくことでしょう。

しかし、毎年5月10日から1週間をバードウィークすなわち、愛鳥週間として野山の鳥の保護のために鳥をかわいがる大たちが集まって、さまざまな運動をしています。

魚や貝の保護

魚や貝の仲間にしても科学が進んで、いろいろな新しい取り方が考えられるにつれて、その取り方も激しくなり、海や川・湖に住む動物たちは、どんどん減ってしまいました。

それで、いまでは、時期によって、とってはいけない場所を決めたり一定の期間とることを禁じたりしています。

ひとりでに増える魚や貝たちのほかに、ある特別な魚(サケ・マス・アユなど)や貝(カキなど)は人工ふ化とか、養殖とかいって人手によって増やすことがおこなわれています。

昆虫の保護

昆虫たちをまもるためには、特別な法律はありませんが国立公園などで、特別地域として定められている場所では動物や植物の採集には、必ず、営林署などの許可を受けなくてはならないようにしみだりに採集されないようにしてあります。

高山チョウと言われる種類などは、でる場所も、でる時期も決まっているので、摂り過ぎないように、とくに注意しなければなりません。




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