土地は動いている
むかしから「動かざること大地のごとし」といってふつう、大地はしっかりして動かないものと考えられてきました。
しかし、実際には、土地は常に動いています。
そのうちとくに目立つ動きは、海水面にたいして土地が高くなる隆起と反対に低くなる沈降で土地は、この隆起や沈降を繰り返しているのです。
土地が動いている証拠
富山県の魚津の海岸は、むかしの森林が海中に沈んで埋没林となっていますがこれは、それほど遠くない昔、土地が沈降したことをしめしています。
また、千葉県の守谷の海岸にある洞穴で、弥生式土器や鹿・猪の骨をふくむ陸上で堆積した地層と海中で堆積した地層が何枚も重なりあったものが発見されました。
これは、この付近の土地が何回も隆起と沈降とを繰り返したことを物語っています。
このほか、関東地方の南部にある三浦半島や江の島では1923年の関東地震のときに波の作用によって平らに削られた海底が水面上にあらわれました。
これはごく最近、土地が隆起した証拠といえます。
また、検潮儀と呼ばれる海面の高さを測る器械を使って海面の高さの上がり下がりを長いあいだ調べています。
これによって、海面にたいする土地の運動を知ることもできます。
水準点の測り直し
もっと正確に土地の運動を知るには、ある年月をおいて水準点を測り直してみることです。
水準点は、地図をつくるときの高さの基凖になるものです。
花こう岩の柱でつくられ全国の主な道路に沿って、約2キロごとに設けられています。
水準点の高さは、東京湾の平均海水面からの高さをあらわしています。
この水準点の高さをしばらく年月をおいて測り直してみると土地が隆起したか沈降したかが正確に測れます。
中国地方の、広烏から三次を通って宍道にいたる道路にも水準点が設けられています。
これらの水準点を、1891年に測り、それから30年後の1921年に、また測り直しました。
その結果、中国山地は、海岸地方にくらべて隆起する傾向があることがわかりました。
30年間に、もっとも隆起したところは9センチでした。
この数字は大きいとは言えませんが、もしこのような運動が数千年、数万年も続くと、非常に大きくなります。
地震と土地の動き
地震が起こると、その付近の土地が変化することはよく知られていますが水準点の変化を調べて、わずかな土地の運動も測られています。
四国東南部にある水準点は、1895年から1929年まで室戸岬付近でもっとも大きく沈降し、高知市付近ではやや隆起する傾向をあらわしていました。
ところが、1946年の南海大地震のあとで同じ水準点をに測り直してみるとまえとはまったく反対に室戸岬付近がもっとも隆起し高知市付近では逆に沈降していることがわかりました。
このことから四国東南部では、ふつうのときと地震のときとで土地の運動が反対になる、シーソー運動をおこなっていることがわかります。
このほか、九州の桜島付近の水準点を調べた結果火山の火口付近では、噴火の後に土地が沈降する傾向があることもわかりました。
土地の水平移動と三角点
土地は上下の方向に降起や沈降をおこなうだけでなく、水平方向にも移動します。
しかし、この移動は隆起や沈降のような、上下方向の動きほどは、目立たないようです。
土地の水平移動の様子は、三角点をくわしく、測り直してみるとわかります。
関東地震後に三角点を測り直した結果、大磯や三浦半島・房総半島南部では南東方へ3メートル以上も移動し、伊豆半島の天城山や伊豆大島では北または北北東へ5メートル近くも水平移動したことがわかりました。
また、1930年北伊豆地震のときには、南北にはしる丹那地震断層を境にして
西からでは南、東側では北に水平移動をおこたったことが知られています。