いまからおよそ460年ほど昔のことです。
イタリアのフイレンツェという町にある、アルノ川の橋の上でふたりの男が不思議なしぐさを続けていました。
下男らしい男は橋の上からいろいろな形の紙切れを、つぎつぎに落としています。
それをもうひとりの主人らしい立派な男が小さなノートに、熱心にうつしとっています。
紙切れが風邪であちこちに飛び散るのを観察して記録しているのです。
この風変りな男こそあの有名な画家レオナルド・ダ・ヴィンチです。
鳥の研究
レオナルドは、空気の中で、鳥がどのように飛ぶかを調べたこともあります。
そのころはまだ、風邪が起こるのに空気が動くからだということさえわかっていませんでした。
「風の神様が、袋から風をお出しになる。だから風が吹くのだ」などと考えた時代なのです。
こんな時代ですから、鳥がどうして飛べるのかといえば、偉い学者でさえ「神様が飛べとお命じになったからだ」としか答えてくれませんでした。
ところがレオナルドは、鳥を解剖して調べてみました。
そして「鳥の胸の骨格は、1枚で長くなっていること。
胸の筋肉が、翼の運動に都合よくできていること。
翼が特別なしくみで、丈夫にできていること」などを明らかにしました。
そればかりか、人間と鳥との、体のしくみの違いも、はっきりさせたのです。
こうしてレオナルドは、鳥と同じように人間も空を飛べないだろうかと考えたのです。
そして、グライダーや落下傘・飛行機などの工夫をしました。
このほかにも、起重機や、機関砲・潜水器などを発明したのです。
レオナルドが、このようにたくさんのすばらしい研究や発明をしていたことがわかったのはレオナルドの考えをまとめたたくさ人のノートが19世紀の終わりから20世紀にかけてつぎつぎと発見されてからのことです。
レオナルドの研究のしかた
レオナルドは、たくさんの発明をしたほか、私たちの周りにあるものがどう動くか生き物がどのようなかわりかたをするかを研究しました。
また人間の体の中がどんなしくみになっていてどのようなはたらきをしているかということも、よく調べました。
つまり、自然の物事なら、なんでもよく観察し、実験もしたのです。
そのうえよくそのわけを考え、工夫を暮らして、新しい道具や機械をつくったのでした。
レオナルドがいちばん嫌ったのは、人昔からの言い伝えや古い書物においてあることを、そのまま信じこむことだったのです。
化石がどうして出来たかをはじめて正しく説明したのもレオナルドです。
そのころ、心から遠く離れたところにも、貝の化石が見つかるということは謎でした。
そして、キリスト教や星占いの人々が聖書の中の話や星などにかこつけて間違った説明をしていました。
レオナルドは、このような説明の誤りを指摘しました。
そして「化石かでるるあたりは大昔は海で、そこに川が流れこんでいた。
貝は川の泥の中に住んでいたが、やがて海底が持ち上がって陸ができ泥が硬い石になり、貝も化石になったのだ」と説明しました。