柳の実験
17世紀のはじめ、オランダにファン・ヘルモントという学者がいました。
ヘルモントは「すべてのものは水からできている」というギリシアのタレスの説を信じていました。
そこで、タレスの説を実験で確かめてみようと思いたちました。
ヘルモントは、1本の柳の木を値木鉢に植えました。
そのとき、木と土の重さをはかっておきました。
木は2.3キログラム、上はよく乾かしたときの重さが9回キログラムありました。
また土の表面には、土が風で飛ばないように、穴をあけた鉄板をかぶせておきました。
こうしてヘルモントは、毎日水だけかけて、5年間その柳の木を育てました。
そして柳の木と、土の重さとをはかってみたのです。
土の重さは、90キログラムに84グラム足りないだけでした。
いっぽう柳の木の重さは88.2キログラムありました。
上の重さはほとんどかわらないのに木のほうは約86キログラムも増えていたわけです。
この実験からヘルモントは「水が木の幹や葉にかわったに違いない。
木は燃えると灰になるし、灰は土だから、やはり水が土にかわるのだ」と考えました。
もちろん、ヘルモン卜が考えたことは間違っています。
植物は空気にふくまれている二酸化炭素をもとにして、でんぷんなどをつくります。
また、土の中からはカリウムや、窒素を吸い上げて、養分にします。
へルモントは、こういうことをまだ知らなかったのです。
しかし、ある物質がほかの物質にかわることを重さをはかる方法で確かめようとしたことは化学への第一歩でした。
またヘルモントが、28キログラムの木炭を燃やしたところ、45グラムの灰が残りました。
ヘルモントは「27.55キログラムの木炭は目には見えないが重さのあるものにかわったのだ」と考え、それをガスとよぶことにしました。
空気はものである
16世紀の半ば頃、ヨーロッパと東洋とのあいだで、貿易がさかんになりました。
このため、織物業や鉱山業がさかんになりました。
そして鉱山では水をくみだすため、ポンプがたくさん使われはじめました。
ところが深いところでは、何段もつなぎ合わせなければ水をくみあげることができませんでした。
鉱山業者たちは、1台のポンプでどんなに深いところからでも水をくみあげることができたらどんなに便利だろうと思っていました。
17世紀ごろになると、学者たちは、この問題をとりあげはじめました。
イタリアのトリチェリは、つぎのようなことを考えました。
「地球の表面は、海の底のようなものだ。
海の底に海水の重さがかかっているように地球の表面にも空気の重さがかかっているはずだ。本当にそうなのか、ひとつ試してみよう」
そこでトリチェリは長さがおよそ1メートルのガラス管のいっぽうのはしを溶かしてふさぎ水も空気ももらないようにしました。
そして、開いているほうの口から、水銀をいっぱいにいれました。
このガラス管の口を指でおさえ、水銀の入っている器の中へ逆さまに立てました。
抑えている指を離すと、管の中の水銀は下がってガラス管の上のほうに隙間ができました。
管を少し傾けても、器の水銀の表直からはかった管の中の水銀の高さは、もとのままです。
そこでトリチェリは「空気の重さが圧力になって、水銀を管の中に押し上げるのだ」ということが証明されたと考えました。
吸い上げポンプの水が、包まった高さまでしか上がらないのも同じ理屈なのです。
トリチェリの実験でガラス管の上のほうにできた隙間は空気のないところで真空なのです。
ギリシアのアリストテレスの学問では「自然は真空を嫌う」といわれ人々はそれが正しいと思っていだのですから真空が本当にあることがわかったのも、たいへんな進歩でした。
トリチェリが実験をしてから5年ほど後に、フランスのブレース・パスカルは
空気の圧力や真空のことを、もっと詳しく研究しました。
ドイツのゲーリッケも、空気の圧力について研究していましたが1653年に、空気ポンプを発明しました。
こうして、空気は重さのある物質であるということがわかったのです。