化学の研究から分子原子説へ
今から200年くらいまえは、新しい化学の基礎がかたまりはじめた時代でした。
物が燃えるのは、物が空気中の酸素と化合して酸化物ができるためだということがわかりこのことから物が燃えるときに発生する熱を物質だとする古い考え力が間違いであることがわかりました。
そして、新しい化学の実験が進むと化合物では、それぞれの元素が決まった割合の重さでむすびつきあっていることがわかりました。
また、気体どうしが化合物をつくるときには化合する気体の容積は、かんたんな整数比になっていることもわかりました。
こうした事実を説明するために1806年にイギリスのドルトンが、分子原子説を唱えました。
物質を細かくわっていくと、目に見えない小さな分子という粒になるという説です。
分子は、物質がもっている性質をかえずに細かくわけることのできる1ばん小さな粒ですが、分子も、いくつかの原子にわけられるのです。
つまり、化合物は、いくつかの違う種類の原子の集まりでこの化合物の分子を原子にわけていくとはじめもっていた性質をなくしてしまうというのです。
人々は、いちばん軽い水素原子の重さを、だいたい1としてほかの原子の重さ(原子量)や分子の重さ(分子量)を実験で決めようとしました。
しかし、こうした試みも、はじめのうちは、いろいろな混乱をうみました。
原子が持つ電気
分子原子説のでたころは、電流の発見が世の中を驚かせていました。
ボルタは、はじめて電池を発明し、デービーはいろいろな物質を電気分解してみせました。
いろいろな化合物の溶液に2つの電極板をひたし極板の間に電圧をかけると電気が流れて、物質が分解するということは化合物の中の原子が+または-の電気を持つからであり分子とは、このような電気を持つ原子がお互いにその電気の力で引きあうからだと考えました。
しかし、原子どうしは、必ず電気の引力でむすびついているのだとすると酸素や水素のように、2個の同じ原子からできている分子は、どうなるでしょう。
同じ原子は同じ種類の電気を持つはずですから退け合うはずです。
だから、酸素や水素の分子が2個の同じ原子からできているということは大いに疑われ、こうしたことが、はじめのころの分子原子説を混乱させたのでした。
現在では、原子が分子をつくるためにはいろいろな形のむすびつきのしかたがあることが、明らかになりました。
原子が電気をもつイオンとなり、イオンどうしが電気の引力でむすびつくのはこれらのうちの1つにすぎないのです。
しかし、原子はなぜイオンになるのでしょう。
それに、イオンのもつ電気が決まった量であることは電気分解の法則をくわしく研究したファラデーが見つけましたが
これはなぜなのでしょう。
それを知るには、原子の構造を知らなければなりません。
陰極線と陽極線、原子をつくるもの
原子がもつ電気の正体は、真空放電という意外な現象から明らかになったのです。
うすい気体の中で放電をおこさせるといっぱんに、その気体に特布な美しい光を発します。
しかし、気体の圧力が水銀柱の高さで、0.001ミリくらいに下がると管の中の光は消えて、陽極側のガラス管の壁が蛍光を発し、緑色に光ります。
それはある放射線が、陰極のほうから陽極のほうにいくのだと考えられ陰極線と名づけられました。
陰極線はまっすぐに進みますがその進行方向におかれた軽い羽根車をまわすことから質量をもつ粒の流れだということがわかりました。
また、陰極線の進路に直角に電界や磁界をかけると、その道すじが曲がることからその粒は決まった-の電気をもつこともわかりました。
この決まった重さと-の電気をもつ粒は電子とよばれどんな原子にもふくまれている物質に共通な粒だとわかりました。
しかし、電子の質量は、原子の中でもっとも軽い水素原子の1800分の1で
原子のほんの一部を形づくるにすぎません。
真空放電では陰極線とは反対に陽極側から陰極にむかって走る放射線も発見されました。
それは、陽極線とよばれました。
この陽極線にも電界や磁界をかけて、その曲がり方を調べたところ陽極線は+の電気をもち、質量は電子よりはるかに大きく気体原子の質量に等しい粒の流れであることがわかりました。
つまり、陽極線中の粒は気体原子から1個あるいは数個の電子をのぞいた残りであり、+のイオンだったのです。
原子核と電子
すべての原子には電子がふくまれ、その電子の数は質量の大きい原子ほど、いっぱんに多いことがわかりました。
たくさんの電子をもった原子が、ふつう電気をもたないのはこれらの電子のもつすべての電気量に、等しい+電気をもつ原子核があるからです。
原子核は原子の中心にあり、原子の大きさにくらべればずっと小さいのですが原子の質量は、ほとんど全部がこの小さな原子核の中に集まっているのです。
そして、太陽のまわりに多くの惑星がまわっているように原子核のまわりには、電子がまわっています。
この考えは、長岡半太郎とラザフォードによって立てられた説です。