生活と暦
火・道具・言葉・文字の発明で大昔の人間の生活は、ずいぶんかわりました。
人間は大きな川の流域で、穀物をつくったり家畜を養ったりして生活するようになりました。
つまり、人間は農業や牧畜をはじめたのです。
取り入れした穀物を大切にしまっておけば一年中、食べ物の心配をしなくても、よくなったのです。
生活にゆとりのできた人々は大勢集まって国をつくり、科学や技術を進歩させました。
ナイル川流域のエジプト人、チグリスやユーフラテス川流域のメソポタミア人、インダス川流域のインド人、黄河流域の中国人などがそうです。
こうしてこれら四大河のほとりには、古代文明か栄えました。
ところで穀物をつくるためには種まきや取り入れの日を、はっきり知っておかなけばなりません。
また、家畜の子供が、いつうまれるかを知る必要もあります。
つまり、毎日の成果に区切りをつける時間の目印が必要になってきたのです。
このために、暦が考えだされました。
メソポタミア人の暦
メソポタミア人は、1年の長さを月の満ち欠けで決めました。
月はいつも同じような動きをくりかえすことがわかったからです。
このような細い月があらわれはじめます。
日が経つにつれて、お盆のようにまるい月になります。
それから、だんだん欠けはじめて、ついに見えなくなります。
メソポタミア人は、このあいだを1か月と決めたのです。
そして、12か月を1年としました。これが太陰暦です。
しかし、季節は太陽の動きにしたがってうつりかわるので太陽をもとにした1年とはあいません。
そのため1年のはじめが、だんだん食い違ってきました。
ある年のはじめに非常に暑かったり、ある年のはじめには雪が降ったりしました。
これでは種まきにも困ります。
そこで何年かに一度、1年を12か月にして、くるいをなくすようにしました。
エジプト人の暦
エジプト人のつくった暦は、メソポタミア人の暦と違ってています。
エジプト人は、ナイル川の大水がいつも同じように繰り返すことに気がつきました。
そこで、ナイル川の大水がはじまり、つぎにまた大水がはじまるまでを1年としたのです。
しかも、ナイル川の大水が、シリウスという星の動きや太陽とも関係があることを確かめました。
こうして、エジプト人は太陽の動きをもとにして1年を365日とする太陽暦をつくりあげました。
この暦では、1か月は30日あります。そして、12か月で1年が終わるようになっています。
1年を12か月とすると5日余りができます。
これは、神様をまつる日として、年の終わりにおきました。