ホイヘンス
1680年、オランダのホイヘンスは「蒸気の力を動力に使えるなら、ガスが爆発するときの力も動力にかえられるだろう」と考えました。
それから10年経ってパパンはガス機関をつくろうとしましたが、うまくいきませんでした。
実際に使えるガス機関は、ホイヘンスが考えてから200年後の1860年
フランス人ルノアールの手によってつくられました。
ルノアール
ルノアールのガス機関は空気とガスを混ぜたものをシリンダーにおくりそれに電気の火花で火をつけてピストンを動かすようになっていました。
これは、三馬力以下の小さなものでしたが小型で蒸気機間より燃料が少なくてすむのでフランスやイギリスの工場で使われはじめました。
オットーの機関
1862年、フランスのドゥ=ロシァは、内燃機関の能率をよくするためにつぎの4つの作用をおこなうようにすることを唱えました。
- カスを吸い込む(吸入行程)
- 吸い込んだガスを圧縮する(圧縮行程)
- 圧縮したガスに点火して爆発させガスの体積を膨張させる(爆発行程)
- 爆発でできたガスを押し出す(排気行程)
1876年、ドイツのオットーは、この4つの行程を利用して重さも軽く、燃料も少なくてすむ、オットー機関を発明しました。
オットー機関は、ルノアール機関にとってかわりました。
続いて6年のちに、ダイムラーが、ガソリンを燃料としてオットー機関よりもっと小型で大きな力を出すガソリン機関を発明して自動車や飛行機のエンジンのもとをつくりました。
しかし、石油の乏しいドイツの技術者のあいだには「ガソリンより、もっと値段の安い重油を使うことはできないものか」という考えがうまれてきました。
ルドルフ・ディーゼル
ガソリンより発火点の高い重油に、どうして点火するのか、これが大きな問題でした。
この問題を見事にといたのが、ルドルフ・ディーゼルです。
ディーゼルは、シリンダーの中で、空気だけをまず3つ気圧以上に圧縮して温度をあげておき、そこへ重油の霧をふきこむようにしました。
そして火花を使わないで、重油を自然に爆発させることに成功しました。
ディーゼルエンジンは、電気火花を飛ばす仕掛けが入りません。
燃料も安く、回転も滑らかなので、たちまち船のエンジンとして蒸気タービンと競争をはじめました。
そしていまでは中型の船、バス、トラックなどに、さかんに使われています。
しかし、なんといっても、ガソリンエンジンよりは重いので乗用車などの小型自動車には向きません。