エウクレイデスやエラトステネスや、アリスタルコスはアレクサンドリアのすぐれた科学者でした。
しかし、アルキメデスは、彼らの中でも、とくにすぐれた科学者でした。
アルキメデスは、シシリー鳥のシュラタサイにうまれました。
そして、アレクサンドリアで科学を勉強したのです。
アルキメデスについては、おもしろい話がたくさんあります。
てことアルキメデス
てこは、小さな力で重いものを動かすときに使うしくみです。
アルキメデスは、てこの理屈をよく知っていました。
そのころ、シュラクサイの王様はヒエロンという人でアルキメデスはこの王様に可愛がられていました。
ある日、アルキメデスはヒエロン王にむかって「もしも、私が地球の外に立つことができたら、地球を動かしてみせましょう」と言いました。
ところがヒエロン王には、なかなか、この言葉の意味がわかりませんでした。
そこで、アルキメデスは王様を海岸へ連れていきました。
砂浜には、一艘の大きな船が引き上げられていました。
アルキメデスは1本の綱と滑車をもってきて、その船を楽に動かしてみせました。
王様はびっくりしてしまいました。
そして、やっとアルキメデスのいうことがわかったのです。
アルキメデスと金の冠
あるとき、ヒエロン王は鍛冶屋に金の冠をつくらせました。
ところが、その金の冠に、銀が混ぜてあるという噂が立ちました。
しかし、見ただけでは、ちっともわかりません。
金の冠を壊してみるわけにもいきません。
王様は、なんとかして偽物を見破るように、とアルキメデスに言いつけました。
さすがのアルキメデスも、これにはちょっと困りました。
約束の日は、どんどん近づいていきます。
ところが約束も迫ったある日、アルキメデスは風呂に入ってしまいました。
なにげなく体を沈めると、ざぁーと湯が溢れだしました。
このとき、アルキメデスは飛び上がって喜びました。
やっと、冠の調べ方を思いついたのです。
早速、冠と同じ重さの金のかたまりと銀のかたまりを用意し、つぎのような実験をしました。
まず、水のいっぱい入った器に金のかたまりを入れました。
器から水がこぼれ出します。このこぼれた水の重さをはかりました。
つぎに同じことを銀で試しました。
こぼれた水のかさが金のときより多いことがわかりました。
今度は、金の冠で試してみました。
金だけのかたまりのときより、余計に水がこぼれました。
ですから、この金の冠には銀が混ぜてあったに違いありませんでした。
こうして「物が液体や気体の中にあるとき、その物が押しのけた液体や気体の重さだけ軽くなる」というアルキメデスの原理が発見されました。
武器とアルキメデス
アルキメデスのうまれたシュラクサイとローマが戦争をはじめたときのことです。
アルキメデスは重い石を発射する機械や、大きな起重機のような機械をつくり
城壁に備えつけました。
そして海から攻めてくるローマの軍艦を目がけて大きな石を雨のように打ち出しました。
それでも近づいてくる軍艦は大きな起重機で空高くつりあげられては海に叩きこまれました。
このほかにも、いろいろな武器をつくりました。
これらの新しい武器のためにローマ軍はシュラクサイを攻撃することができませんでした。
しかし、シュラクサイは、ローマ軍に取り囲まれ食料が不足して、ついにローマに降参してしまいました。
図形とアルキメデスの死
戦争も終わったある日のことです。
アルキメデスは砂の上に図形を書いて、なにごとかを考えていました。
このとき、ふたりのローマの兵士が、アルキメデスのところにやってきました。
しかし、それにも気づかずに熱心に考え続けていました。
その兵士は、アルキメデスの書いた図形を踏み消してしまいました。
そこでアルキメデスは「私の図形を邪魔しないでくれ!」と大声で叫びました。
ローマの将軍は「どんなことがあってもアルキメデスを保護するように」という
命令をだしていたのですが、その兵士は怒ってアルキメデスを剣で刺して殺してしまいました。
後に、ローマ人は墓を建て、アルキメデスを称えました。
アルキメデスは、たくさんの発明や発見をしました。
そして、それを実際に役立たせたのです。
もしも、アルキメデスの考えたものが、もっと広く使われていたらアレクサンドリアの文化は、さかんになっていたことでしょう。
しかし、残念なことにアルキメデスの発明した機械は、あまり使われませんでした。
奴隷が機械のかわりとして使われていたからです。