文化の中心、アレクサンドリア
やがてギリシアの国が乱れ、ギリシア人どうしが争っているあいだにアリストテレスの教えを受けたマケドニアの王子アレクサンドロスがマケドニアの王様の位につきました。
この王様はアレクサンドロス大王といわれ地中海はもちろん、エジプトからインドにまたがる大帝国を築きました。
しかし、おしいことに、大王は年若くして死んでしまいました。
大王の家来には、幾人かの強い将軍がいました。
大王が死ぬと、将軍たちはその領土を勝手にわけあってしまいました。
それでも、新しく芽生えた文化は、ますます栄えました。
この文化をヘレニズム文化といいます。
その中心地は、エジプトアレクサンドリアでした。
ここは、アレクサンドロス大王の司令官のひとりブトレマイオスが治めていた国の首都でした。
プトレマイオスは、たいへん科学を重んじ、アレクサンドリアに王立学士院を建てました。
また、この中には、50万冊もの本があるといわれて大図書館もありました。
このため、各国からは、たくさんの学者か集まってきました。
古代で、最もすぐれた科学者といわれたアルキメデスをはじめ大数学者のエウクレイデス(ユークリしド)など立派な科学者がたくさんふあらわれました。
このように、アレクサンドリア時代には数学のようなギリシア時代からの科学が進歩したことはもちろんですがそのほか、地理学や天文学が進歩しました。
アレクサンドロス大王の帝国は長続きしませんでしたがそのためにギリシア時代より遠い国々のあいだで貿易がはじまりました。
そして、科学者たちの目が地理や天文にむけられました。
こうして、エラトステネスのような地理学者やヒッパルコスのような大文学者がうまれたのでした。
エウクレイデス
サワクレイデスは、このころの偉い数学者です。
算数、とくに図形について、熱心に研究しました。
これは、ユークリッドの幾何学といわれています。
エウクレイデスの書いた幾何学の本は200年ほど前まで、そのままの形で学校の教科書として使われたほど値打ちのあるものです。
エラトステネスとアリスタルコス
エラトステネスは地球の周りの長さを、非常に正確に計算した学者です。
アリスタルコスは、世界ではじめて、地動説を言い出した学者です。
しかし、それから1500年ものあいだ、だれもアリスタルコスの地動説を認めませんでした。
そして、コペルニクスやガリレオのころになって、やっと認められるようになったのです。