人工衛星と有人衛星が開発されたのはいつ頃? わかりやすく解説!

国際地球観測年がはじまるまえにアメリカとソ連は人口衛星による観測計画を発表しました。

この両国の競争では、ソ連のほうが先に人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功しました(1957年)。

人類史上はじめて、人工の月(人工衛星)が打ち上げられたことによりいよいよ宇宙時代がはじまったのです。


その後、アメリカも人工衛星の打ち上げに成功またイギリス・カナダ・フランスなどもそのあとを追い今日までに打ち上げられた人工衛生の数はもう1000個以上にになっていると思われます。

これらの人工衛生の中には、ソ連のルーニク3号のように私たちがいままで見ることができなかった月の裏側の写真を撮り地球上に電送してきたものもあります(1959年打ち上げ)。

またアメリカのタイロス1号(1960年打ち上げ)のような気象観測用の衛生またテレビや電話の中継をする静止衛星(1963年打ち上げのシンコム1号)もあります。

さらに、ソ連の金星1号(1961年打ち上げ)火星2号(1962年打ち上げ)アメリ力の金星科学調査衛生マリナー2号(1962年打ち上げ)や最初の火星写真を電送してきたマリナー4号(1964年打ち上げ)などのように金星・火星のような、ほかの惑星の探査に乗り出したものもあります。

しかし、宇宙時代も象徴する、最も目覚ましい出来事は人間の乗り込んだ人工衛星、有人衛星の打ち上げ、そして地上への回収の成功でしょう。

この分野でも、まずソ連が成功しました。

1961年、ユーリー=ガガーリン少佐の乗り込んだボストーク1号が地球を1周して無事地上に帰り着きガガーリン少佐は宇宙飛行士第1号になったのです。

この年、同じくソ連のゲルマン・チトフ少佐が地球を17周することに成功しました。



アメリカでは、ようやく1962年、ジョン・ダレン中佐のマーキュリー衛生船による地球3周が最初の成功になりました。

その後もアメリ力とソ連の有人衛生の競争は激しくなりました。

たとえば1963年にはソ連のテレシコワさんがボストーク6号で宇宙飛行に成功
世界初の女性宇宙飛行士になり1964年には同じくソ連の3人乗り宇宙船ボスホート1号が飛行に成功さらに1965年に打ち上げられたボスホート2号ではレオーノフ中佐が初の宇宙遊泳(軌道飛行中の宇宙船から、命綱をつけて船外、つまり宇宙空間に出て作業をしてみること)に成功しました。

いっぽう、アメリカでは1965年ジェミニ6号とジェミニ7号が宇宙でのランデブー(接近していっしょに飛行を続けること)に成功しジェミニ7号は2週間飛行を続けるという史上最長時間の宇宙飛行に成功しました。

また1966年にはジェミニ8号が史上最初のドッキング(宇宙空間)で衛星船どうしをつなぎあわせること)に成功しました。

1968年、アメリ力の打ち上げたアポ口8号は、3人の宇宙飛行士を乗せて人類史上はじめて、月をまわって帰ってきました。

人類がはじめて、肉眼で直接月の裏側を見たわけです。

その後、人間を月に送り届けることが目的であるアメリカのアポロ計画はちゃくちゃくと進行し、1969年の3月には、アポロ9号が地球をまわる軌道の上で、月面着陸船を積んでランデブー・ドッキング・宇宙遊泳などをおこないました。

さらに5月には、アポロ10号が、月をまわる軌道に乗り月面からわずか15キロメートルの高さにまで近づき月面の写真撮影などをおこないました。

このような準備を積み重ねたうえで、1969年、7月21日、アポロ11号に乗ったアームストロング・オルドリン・コリンズの3人の宇宙飛行士のうちアームストロング・オルドリンのふたりが、月面に降り、月の岩石を採集しました。




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