地球の大きさと質量とは? 地球の半径のもとめかたとは?

地球の大きさ

地球の大きさをあらわすものとしては、半径・円周・表面積・体積があります。
このうち、半径さえわかれば後のものは、半径をもとにしてもとめることができます。


エラトステネスがもとめた地球の半径

エジプトのエラトステネスは、紀元前250年ごろ地球の半径をつぎのような方法でもとめました。

ナイル川のシエネと、その真北にあるアレキサンドリアとで同じ時刻に地面に垂直に棒を立てて、その影の長さを調べました。

そして、両地点での棒の影の長さの違いからシエネとアレキサンドリアとで緯度が7度12分違うことを知りました。

さらに、両地点間の距離を歩は幅で測りこれから地球の円周を出し、半径をもとめました。

こうしてもとめた地球の半径は約7360キロで現在の値(6380キロ)とあまり違っていません。

地球の半径のもとめかた

地球上でかなり離れた2つの地点から1つの星の高度を測りその高度の違いから地球の半径をもとめることができます。

このようにして測った地球の半径は、約6380キロになります。
この半径をもとにして計算すると、円周は約4万キロ、表面積は約5億平方キロ
また体積は約1兆立方キロになります。

地球の質量

地球の質量(重さ)を測るにはニュートンの発見した「万有引力の法則」が使われます。

万有引力の法則

2つの物体のあいだには、互いに引きあう力があります。この力を万有引力と言います。

万有引力は、どんな物体のあいだにもはたらきます。
そして、その強さは物体のそれぞれの質量が大きいほどまた、物体のあいだの距離が近いほど、大きくなります。

地球上で、物が下に落ちるのも、この万有引力のためです。

この万有引力の法則を使えば、引力の強さと、2つの物体のあいだの距離およびどちらかの物体の質量がわかれば、もうひとつの物体の質量がもとめられます。

地球の質量も、この方法で計算します。
こうしてもとめられた地球の質量は、約598兆トンの1000万倍にもなります。




地球の形と大きさとは?地球がまるい証拠とは?

地球の形

飛行機が世界を1周したり地球儀を見慣れている現在は地球がまるいものだということを疑う人はいません。

しかし大むかしには、地球がまるいと考えた人はほんのわずかでした。


昔の人の考えた地球の形

大むかしは交通が不便であったため人々は世界を自分たちの知っている範囲だけで考えていました。

そのころの人々は、地球がまるいということなど、考えてもみませんでした。

天も地もお盆のようなもので、まわりの山が天を支えていると考えたりまるい板のような大地が、柱で支えられていると考えたりしました。

このような時代に地球が球形であると最初に主張したのはギリシアのピタゴラスでいまから2400年ほど前のことです。

それから200年ほど経ったころ、同じギリシアのアリストテレスなどが①高いところにのぼると遠くまで見える。

②場所によって北極星の高さがかわる。
③月食のときに月の表面にうつる影がまるい。

などを挙げて、地球がまるいことの証拠にしました。

地球がまるい証拠

高さと見通し

地球上では高いところにのぼるほど遠くのほうまで見通せます。
高い山や建物や遠くのほうからでも見ることができます。

また、海岸出てていく船を見送るとき下のほうからだんだん水平線に隠れてしまい最後にマストが見えなくなります。

これらは、地球がまるいと考えると、理解できることです。

北極星の高度

星は非常に遠いところにあるので、地球に届く星の光は平行な光線と考えられます。
ですから、いつでも位置のかわらない北極星は地球が平らならばどこでも同じ高度に見えるはずです。

しかし、実際には南から北へ進むにつれて、北極星の高度はしだいに高くなります。
このときも、地球がまるいと考えると解決できます。

月食の影

月食は、太陽と月のあいだに地球が入りこんで地球の影が月にうつるため、月が欠けて見えることです。

この月食のとき、月にうつった地球の影はいつでもまるく見えます。
これも、地球がまるい証拠になります。

高空写真

非常に高いところから地球を眺めることは、なかなかできませんでした。
地球から離れたところからうつした写真を見ることができるようになりました。

この写真で見ると、地球も月と同じようにまるくなっていることがわかります。



緯度と経度

地球上の位置は、緯度と経度によってあらわします。

緯度

地球上の南北の位置を決めるものです。
緯度の基準は、地球を赤道で切ったときの面(赤道面)です。

ある場所の緯度は、その地点から地球の中心に向かった線が地球の中心で赤道面とのなす角度によってあらわします。

ですから0度は赤道、90度は極になるわけです。

赤道面の中心に角度10度に棒を立ててぐるりとひとまわりさせると緯度10度の線が引けます。

このような。同じ緯度を結んだ線を緯線と言います。
赤道より北は北緯、南は南緯であらわします。

経度

地球上の東西の位置を決めるものです。

経度の基準はイギリスのグリニッジ(旧天文台)を通る子午面(北極・南極・グリニッジ・地球の中心をふくむ面)です。

ある場所の経度は、その地点の子午面がグリニッジの子午面とのなす角度によってあらわします。

経度は、グリニッジを通る基準の子午線を0度としてそれから東まわりに180度までを東経、西まわりに180度までを西経であらわします。

180度の子午線は、東経と西経が同じになります。

子午線と子午面

地球上のある地点と、北極・南極を結ぶ線を子午線といいます。

また、子午線と地球の中心をふくむ面を子午面といいます。
子午線は同じ経度をむすんでいるので、経線ともいわれます。

地球楕円体

くわしく調べてみると地球は完全な球ではなく赤道付近がわずかにふくらんでいることがわかります。

たとえば、赤道付近と極付近で、緯度1度に対する子午線の長さを測ってみます。
地球が完全な球ならば、どちらも同じ長さになりますが実際には赤道付近で測ったほうが、やや長くなります。

これは、地球の中心から極までの距離よりも中心から赤道までの距離のほうが長いということです。

したがって、地球を北極と南極を通るようにして縦に切った形は少し上下に潰された楕円になります。

いっぽう、赤道に沿って経度1度の長さを測ってみると、どこでも同じ長さになります。
ですから、地球を赤道で横に切った切り口は円になります。

このような楕円を地球楕円体といいます。
この形は、地球の自転による遠心力のためだと考えられています。

ジオイド

実際の地球の表面は、山・谷・海などがあり、複雑な形をしています。
このような地表の形を正しくあらわすために海の応分は平均海水面とし陸地の部分は、そこに溝を掘って海水を引き入れたときの海水面として地球の形を定義したものをジオイドといいます。

ジオイドは、どんな所でも、重力の方向に垂直になっており地表の凹凸や、地下の物質の分布によって、少しながら起伏があります。

いっぱんに、大きい山脈のところでは、高くなっています。
地球楕円体は、このジオイドに最もよくあうように考えられた楕円体です。




地球の内部と表面はどのようにわけられているの? わかりやすく解説!

地球は、地球をとりまく大気をふくめて大きく気圏・水圏・岩石圏と内圏の4つの圏にわけられ、これを地球の四圏といいます。


気圏

地球をとりまいている大気の部分を気圏といいます。
最近、人工衛星やロケットの発達によって地球から離れた大気層の厚さや構造がだんだんわかってきました。

気圏に、その性質や構造の違いから対流圏・成層圏・電離圏・外気圏の4つにわけられます。

対流圏

地表から高さ12キロメートルくらいまでのところをいいます。
対流圏では、高さが増すにつれて気温が下がります。
また、対流圏では、雨・雲などの気象現象が起こるところでもあります。

対流圏と成層圏の境の面を圏界面といいます。
圏界面の高さは、緯度によって異なり、赤道付近で16~17キロでもっとも高く極に近づくにつれて低くなります。

成層圏

高さ12~80キ口くらいまでのところを言います。
清掃圏の下部のほうに、太陽の紫外線を酸素が吸収して生じたオゾンを多くふくむ層があります。

これをオゾン層と言います。

また、上部には、ときどき絹雲に似た銀白色の雲があらわれます。
これを夜光雲といい、高緯度地方では、日没後、および日の出前によく見られます。

電離圏

高さ80~800キロくらいのところを言います。
電離圏には、電波を反射する層があり、これを電離層といいます。

この電離層がE層とF層とにわかれており、F層は、昼間さらにF1層とF2層とにわかれます。

地上70~80キロのところにもD層と呼ばれる電離層があります。
このほか、80~100キロくらいのところには非常に小さい天体が大気の抵抗を受けて高温になり発光する、流星も見られます。

また、高緯度地方の上空では、オーロラ(極光)も見られます。
オーロラは黄緑色や赤色・青白色をした美しいものでカーテン状やアーチ状の形に見えます。

このオーロラは、太陽面の爆発によって出される電気を帯びた粒子が大気中の酸素や窒素も原子や分子にぶつかって発光したものです。

外気圏

電離圏の上層で、800キロ以上のところを言います。
最近、人工衛星による観測で、非常に強い放射能をもった層が地球をとりまいていることがわかりました。

この放射能帯をバンアレソ帯と言います。

バンアレン帯は、太陽から出される電気を帯びた粒子が地球の磁場のために、ある決まった場所に集まってできたものです。

水圏

地球の表面に分布している海・湖沼・河川・地下水などをふくめて水圏といいます。
水圏は、地球表面積の約70パーセントをしめています。
地球上の水の98パーセントは海水です。

大気中の水分は、海水の量とくらべると、わずかなものですが雨・雲などの気象の変化にたいへん重要な役割りをもっています。

そのほか、海・河川などの水は流水となって、地表の変化をもたらします。



岩石圏と内圏

地表から30~40キロの地殻の部分を岩石圏といいそれより下の地球の中心までを内圏といいます。

岩石圏をつくっている元素は、主に酸素・ケイ素・アルミニウム・鉄・カルシウムで全体の約90パーセントをしめています。

内圏は、マントルと核にわけられ、核は、ざらに外核と内核にわけられます。

地球の内部のつくりや性質は地震波の伝わりかたなどから、くわしく調べています。

三圏の交流

地球の四圏のうち、気圏・水圏・岩石圏の三圏は地表の近くでは互いに関連しあって循環しています。

水圏の水は、太陽熱によって蒸発して水蒸気気になり気圏に入ります。
気圏に入った水蒸気は雲をつくり雨を降らせ、水圏に戻ります。

この水は川となり岩石圏を浸食したり風化させたりして岩石圏の様子をかえていきます。

浸食された物質は、積み重なって体積岩をつくります。
また、岩石圏内にある炭素や窒素は火山活動や生物の呼吸などで気圏に出て行きます。
気圏に出た気体は、また雨となって水圏へと戻ります。

このように、気圏・水圏・岩石圏の三圏はそれそれが関連しあって循環していることがわかります。

地磁気

地球上で磁針が、ほぼ南北の方向を指すことは地球が1つの大きな磁石になっているからです。
この地球自身が持っている磁気を地磁気といいます。

磁石の針がしめす北極と南極の位置に、地理学上の北極と南極とは一致しません。
また、磁石がしめす北極・南極の位置は、長い年月に少しずつ移動していきます。

磁針に磁力線と平行になる性質があるので子午線の方向や水平面とある角度をなしています。

磁針の指す北の方向と地理学上の北の方向とのなす角を偏角といい水平面とのなす角を伏角と言います。

まだ、ある地点での地磁気の強さを全磁力といい全磁力の水平方向の分力を水平磁力、鉛直方向の分力を鉛直磁力といいます。

いっぱんに、偏角・伏角・水平磁力を地磁気の3要素といいます。

宇宙線

宇宙のどこかで発生して昼も夜も四季の区別なく地球上に降り注いでいる強い放射線があります。

これを宇宙線といいます。

宇宙線は、エネルギーの非常に大きい電気を帯びた粒子で物質を貫通する力を持っています。

この宇宙線がどこで発生したかについてはいろいろな説がありますが、まだ定説はありません。




地殻が生成されたのはいつ頃? 海と大陸の誕生はいつ?

潮汐説

地球は、地殻というからができて、はじめて地球と呼べるようになったといえます。
地球が潮汐説の説明のように太陽からわかれてできたものだとするとはじめのどろどろな火の玉の時代に、すでに地球の内部では、重い物質は沈み軽い物質は浮いて層にわかれるでしょう。

このようにして、地殻のうちのシアル層ができはじめたころにその一部が飛び出して月になり、あとの凹みが太平洋という海になったと考える人がいます。

太平洋の底の地殻にシアル層がないのを、このように説明しているのです。

また、シアル層は最初に地球上の1か所に集まっていたが地球の自転などによって散らばり、現在のような分布をしめしているという説もあります。
これが有名なウェーゲナーの大陸漂移説です。

しかし、これらの説は、両方とも力学的に証明できません。
それで最近では、つぎのような考えが広まっています。

シアル層は、はじめうすく地球全体をおおっていましたが地球の内部にできた対流のために、1か所に集められさらに、地球の内部に核ができると対流は小さくわかれシアル層も厚くなりながらわかれてきたという考えです。

潮汐説では、海の誕生をつぎのように考えています。
はじめどろどろに溶けていた地球は冷えるにしたがって水蒸気を生じます。

これが熱い雨になって、何千万年という長いあいだ降りそそぎ地表の低いところをつめて海になったというのです。


隕石説

隕石説によれば地球の中心部の化学成分も外側の化学成分と大きな違いがないはずです。

地震波の伝わりかたでわかる、外側と内部の密度やかたさの違いは同じ元素でも、非常に大きな圧力のもとでは原子の体積が小さくなる
という最近の発見によって説明ができます。

しかし、地球が冷たい隕石によってできたとすると地球の内部が、5000度もの高温になっているのが不思議に思えるかもしれません。

地球の内部がこのように高温になったのは、地球をつくっている物質にウランやトリウム・カリウム40・アクチノウランのような放射性元素がふくまれているからです。

こういう元素は、たえず放射線を出しながらほかの物質にかわっていきますが
そのときに熱を出します。
この熱が、数十億年という長い年月のあいだに地球の内部にたまったのです。

こういう経路をへて、はじめに地球をつくった隕石は溶けてしまいます。
そして、この一部はマグマになって大きなひび割れから地表に吹き出し火山活動をおこないます。
このような火山活動は、放射性物質の多かった原始地球では、とくに激しかったでしょう。

この火山活動によって、地表は、溶岩や火山灰によって厚くおおわれました。



海の誕生

地球が厚くなるにつれて、水酸化物や含水ケイ酸塩といわれる酸素や水素をふくんだ物質が、熱で分解して水蒸気を吐き出します。

この水蒸気は冷えて雨になり、へこみにたまって最初の海水になったと考えられています。

ですから、隕石説によると、海水ははじめは少なく、しだいに増えてきたのです。

山脈と大陸の誕生

このようにして海ができると、海→空→地表→海のあいだに水の循環が起こります。

そして、地表に降りそそいだ雨水は岩石が風化してできた土砂を水底に運んで水成岩をつくります。

こういう堆積物がどんどんたまる地域ではそれにつれて地盤が沈み、地下深いところで大きな圧力と熱を受けるようになります。

そしてついには、その圧力のためにしゅう曲をつくりながら上昇をはじめ山脈をつくるようになります。

そのとき、水改岩は圧力のために変成岩になったりとけてカコウ物質の岩石にかわったりして、シアル層の一部になります。

こうして地殻の厚みが増していきました。

海は、この山脈の外側にうつり、そこで、また、体積物が厚く沈殿してつぎの山脈をつくる準備をします。

このようにして、外側に山脈がつけ加わるにしたがって内側の古い山脈は削られて平らになりしゅう曲などの地変のない安定した大陸塊になります。

このようにして、陸地は時代とともにでこぼこが大きくなってきます。

いっぽう、海水もしだいに増えるため海陸の分布や地形・気候・海流の様子は、しだいに複雑になってきました。




隕石が集まった地球、隕石説とは? わかりやすく解説!

改められた考え方

太陽系のような星の集まりに決して珍しいものではないので潮汐説のように、起こりにくいことを仮定する考えかたにあてにならなくなりました。

太陽系は、自然にできあがったものと考えるほうが正しいのです。

そのような考えかたの1つに、ソ連のシュミットが1944年に出した、隕石説と言われるものがあります。


太陽の交わりの星雲

はじめ、太陽はひとりぼっちでしか、その周囲には惑星も彗星もまわっていませんでした。
この原始太陽は、宇宙空間を運動しているうちに、星雲の中を通り抜けました。

この星雲というのは、ガスとちり粒などがまじりあったもので広い範囲に漂っています。
太陽と恒星の出会いにたいへんまれなことですが、太陽と星雲との出会いはごくありきたりと考えられています。

原始太陽は、星雲の中を通るときこの星雲の一部分を引力で引き付け、そのままもぎとってしまいました。

そのときのはずみで、太陽のまわりの星雲は、ぐるぐるまわり出しました。

星雲の中で惑星誕生

太陽のまわりの星雲は、はじめ、球形をしていました。

その中では、ガスとちり粒とが太陽をとりまいてそれぞれ楕円の軌道を描いて飛びまわっていました。

これらの粒に、互いにぶっかりあい、いっしょになってだんだん大きな粒になります。
いくつもの総長い楕円を重ね合わせると、その軌道は平均されて円に近い形になります。

この円は、太陽の赤道にあたるところにたくさんの輪となって並びます。
足雲全体の形も、球から赤道のまわりがはりだして、平たい円盤状になります。
これは、回転によって起こる遠心力によるためです。

円盤状になった星雲の中では、ガスはちり粒にくっつきちり粒は幾列もの流れになって、太陽のまわりを周っています。

その流れのところどころに、ひときわ目立った粒の固まりができます。
そうすると、これが芯となって通り道にあたる小さな粒はつぎつぎと吸い寄せられていきます。

このようにして、かたまりは、しだいに大きくなりしまいに、1つ1つの惑星となっています。

惑星のもとになっているちり粒は地上に流れ星となってふりかかる隕石と同じものです。
このため、この新しい説を、隕石説といいます。



隕石説の品定め

この説には、偶然の出来事に頼るような、無理な考えかたがありません。
太陽ばかりでなく、ふつうの恒星も、これと同じ成り行きで
やはり太陽系のような仕組みを持つことができます。

隕石説によると太陽系の性質いくつかは、自然に説明がつきます。
また、地球や火星などのように、太陽に近いところでは太陽光線のために、軽い物質が吹き飛ばされ小さくて比重の大きい惑星となるので①の性質ができます。

つぎに、星雲の外側のほうは、物質が薄いので1つの惑星ができるために、広い幅の物質が必要です。

最後に、1つの惑星ができかかるとそのまわりにやはり星雲の輪ができて、その中から衛星がうまれます。

このように隕石説は太陽系のどの性買にもよくあてはまる、すぐれた考えかたといえます。

地球の組み立て

潮汐説では、熱い火の玉が、冷えて固まったものが地球だといいますが隕石説ではもともと、冷たいちり粒の集まりになります。

この冷たい地球の内部に地熱が生じたのは、放射性物質が熱を出すためです。
地熱によって隕石が融かされ重い物質と軽い物質との入れ替えがおこなわれました。
そして軽いケイ酸物は、表面に浮かび上がって地殻をつくりました。

またこのとき、内部にふくまれていた水蒸気が地上に吹き出て、海となりました。




ジーンズの潮汐説とは? わかりやすく解説!

考え方の狙い

地球は太陽系ができたとき、ほかの惑星といっしょに誕生しました。
その地球の上に、山や川ができ、生物が生まれ、やがて、人類があらわれてきました。

ですから人間は、ひとりとして、地球の誕生を見たもはいません。
しかし、みんな、その謎を知りたがっています。
大むかしの人々は、神話の中で想像しましたが、今日の私たちは科学的に判断します。

自然の中には、自然界の歴史が刻まれています私たちは、それを注意深く読み取るのです。

太陽系の性質こそ、その生い立ちの記録なのです。
これを手がかりとして、地球の誕生を説明するのが、考え方のねらいです。

デカルト以来、20あまりもの、たくさんの説がだされました。
ここでは20世紀に発表された説のうちから、代表的なものを述べることにしましょう。


ジーンズの潮汐説

1916年に、イギリスのジーンズという天文学者は、つぎのような説を立てました。

原始の太陽は、まだ惑星をしたがえてはいませんでした。
この太陽のそばを、ほかの恒星が通り過ぎました。
恒星が近づいてくると恒星の引力が太陽にはたらきはじめ太陽の表面が持ち上がります。

このような現象か潮汐作用といい、地球の海面が月の引力で高くなるのと同じです。
恒星が太陽に最も近よったとき、恒星の引力で太陽の内部から、厚いガスが、ひものように引き出されました。

このガスのひもは、恒星が通り過ぎるときに受けた力で太陽にまきつくようにまわり出しました。
その形は、両はしが細く、中心のあたりが太くなっています。

時間が経つにつれてガスのひもはちぎれ、いくつかの火の玉になりました。
この火の玉が、1つ1つの惑星で、しだいに冷えて固まり、現在のようになったのです。

また、その惑星が、太陽のまわりをまわるうちに太陽の引力によって、惑星から衛星が飛出しました。

地球も月も、このようにして誕生したというのです。
このジーンズの説のことを潮汐説といっています。

潮汐説の良い点と悪い点

惑星のうちで、太陽にいちばん近い水星といちばん遠いめい王星とが小さくて中ほどにある木星や土星が大きいことは、潮汐説でうまく説明できます。

また太陽系の性質のうちいくつかは、なるほどとうなずけます。
しかし潮汐説では、どうしても説明できないこともあります。

潮汐説によると、惑星の軌道の形は細長い楕円になるはずです。
ところが実際には、円に近い軌道で太陽系の①の性質に反しています。

また太陽から引き出された厚いガスが、寄り集まって惑星が生じたということも説明しにくいことです。

ふつう、真空中にガスを放すと、より集まるどころか、飛び散ってしまうからです。
さらに、めい王星ほどの遠くまで飛び出すためには恒星は、太陽にぶつかるぐらい近づかなければなりません。

太陽と恒星の出会い

ジーンズの立てた潮汐説は、ビュッフォンの説に似ています。
違う点は、相手の天体が彗星ではなくて、恒星であること直に太陽にぶつかるのではなくて、ごく近くを通り過ぎることです。

恒星は、どれも光る点のように見えますがそれは地球からたいへん遠くにあるためで、実物は太陽ぐらいの天体です。

また地上から眺めると、恒星は、まる天井に散りばめられた宝石のようにいつまでも、星座を形づくっているように見えます。

しかし、これも実際には、お互いに毎秒10キロぐらいの速さでそれぞれ、勝手な方向に動いているのです。

いま、恒星の大きさを人間の胸囲ぐらいに例えるなら1つ1つの恒星のあいだの距離は、約500キロ(直線距離で東京~青森間)動く速さは1年間に約3メートルになります。

これでは、隣同士が、たとえ向きあって動いたとしてもすれ違うには、約5万年かかります。

まして、勝手な方向へ動くのですから、何千兆年経っても恒星どうしは出会えないでしょう。

こんな具合ですから、太陽と恒星が出会うということはごくまれな珍しい出来事なのです。

それにもかかわらず、星の世界には太陽系と同じようなものが、かなりたくさんあるのです。




デカルトとビュッフォンの説の違いとは?ケプラーの法則とは?

太陽と地球の間柄

神話には、実際に起こりそうもないことや、理屈にあわないことが述べられています。
しかし16世紀に、コペルニクスが地動説をたててから、科学はぐんぐん進みました。
地球の誕生についても、だいぶ科学的な考えかたが発表されるようになりました。

ここでは、初期に発表された2つの代表的な説を述べましょう。
この2つの説は、いろいろな点で考えかたが正反対ですから注意深く調べてみましょう。


デカルトの説

これは、デカルトという、フランスの数学者が考えた説です。
コペルニクスが、地動説を発表してから100年も後のことです。

宇宙のはじめは、すべてがまじりあっていました。

この中に、3種類の元素(もとになる物質)がふくまれていたのでお互いに、ぐるぐる渦巻きのようにまわりあっているうち同じ物質同士が寄り合って別々の天体ができました。

その第1は、光った元素から太陽と恒星ができ第2は、透き通った元素から天空ができました。

そして第3に、不透明で光を反射する元素から惑星や彗星(ほうき星)ができたと考えたのです。

この説では太陽と地球は同じお腹から生まれた兄弟のような間柄、ということになります。

ビュッフォンの説

デカルトの説が出てから、さらに100年ほど後にフランスの生物学者でビュッフォンという人が、地球は太陽からわかれたものだ、と考えました。

全ての彗星は、遠方から飛んできて、太陽の近くを通り過ぎます。
大昔、その1つが太陽の表面をかすっていって、その部分を削り取ったとします。

ちょうど、円板の淵をかんなで削ったとき削りくずが周囲へ飛び出すのと同じように、太陽の表面から大小いくつかのかけらが、空間をまわりはじめます。

そのようなかけらが固まって惑星となり、そのうちの1つが地球になったというのです。
この説によると地球は、太陽の血肉をわけた子供にあたる間柄ということになります。

2つの説の違い

デカルト節とビュッフォン説とくらべると左の表のように、大切な点で全く違っています。

デカルト ビュッフォン
説を立てた年 1644年 1745年
地球のでき方 星雲が周りながら固まる 彗星の衝突で太陽からわかれる
地球のできた時期 太陽とほぼ同じ 太陽よりもあと
地球のもとの物質 太陽と違う物質 太陽と同じ物質
地球のできる速さ ゆっくりと自然に 突然激しく
原因となった力 自分自身の力で ほかの天体の力で

この後にたくさんの学者が、それぞれの説を唱えましたが根本的な考えはこの2つの説のどちらかに似ています。



ケプラーの法則

地球は、太陽のまわりを公転しています。
このような天体は、全部で9個あり、惑星といいます。

これらの惑星は、みな共通の点をもっています。
有名なものは惑星の運動に関するつぎのようなケプラーの法則です。

「どの惑星も、太陽のまわりで楕円を描きながら公転し太陽に近づいたときは速く、遠のいたときは遅く動く。1周するのにかかる時間は内側の惑星ほど短い」

太陽系の性質

太陽の万有引力がおよぶ範囲を、太陽系といいます。
ところが太陽系全体についてみますと、万有引力によっても証明しつくせないつぎのような性質があります。

①惑星の軌道の形は、楕円といっても非常に円に近いものです。

②惑星の軌道の位置は、どれも、ほとんど同じ平面上にあり太陽の赤道面ともほぼ同じです。

③惑星の公転の方向は、みな同じ方向で、しかも太陽や惑星の自転の方向とも一致します。

④水星・金星・地球・火星など、太陽に近い惑星は形が小さいが、比重が大きく、自転が遅く、衝星の数は少なくなっています。

これにたいして、木星・土星・天王星・海王星など、太陽から遠い星はその反対の性質をもっています。

⑤惑星の軌道の半径は、だいたい2倍ずつの割合でましています。
そして、軌道と軌道の間隔は、外側になるほど広くなっています。

⑥太陽の重さは、太陽系全体の重さの99パーセントをしめ惑星全部を寄せ集めても重さはごくわずかです。

⑦惑星のまわりで衛星が公転する様子は太陽のまわりで惑星が公転する様子にそっくりです。

以上のようないろいろな性質は、どのようにしてできたのでしょうか。
これは、太陽系の成り立ちかたに関係があります。




地球の誕生にまつわる神話とは? わかりやすく解説!

神話の中の天と地

大むかしの人々は、この世界を天と地の2つにわけて考えていました。

天界には、たくさんの星がかがやき、地上に人間が住んでいますがこの2つの世界も、はじめは1つのものだったち考えました。

では、どのようにして2つにわかれたのでしょうか。
それは、神話の中で語られています。

もちろん、国によって、その考えかたも違っています。
ここでは、そのうちの代表的なものを3つ選んでお話しましょう。


バビロニアの神話

いまのイラクの国のある地方を、メソポタミアといいます。
この地方には、約7000年ぐらい前から、文明が明けていました。

バビロニアはその1つの国ですが人々のあいだで天地の成り立ちについての神話が、言い伝えられていました。

宇宙の最初の時代には、一面が大海でした。
この水の中で、すべてのものは、区別なく入り混じっていました。

この大海はティアマートという悪魔の神が支配していて乱暴をはたらいていたのですが大海から生まれたマルドークという太陽の神がこの悪魔の神を退治することになりました。

マルドークは、稲妻を武器にして、ティアマートに立ち向かいました。
大きな口を開いて襲いかかるテイアマートのその口の中に風を吹き込むと、その体は、破裂してしまいました。

そこでその体を2つに裂き、半分を高くつるすとこれが天となり、あとの半分を広げると、これが地となったのです。

エジプトの神話

エジプトも、バビロニアと同じくらい、古い王国でした。
ここにも、天地の成り立ちについての神話があります。

いちばんはじめに宇宙は、やはり水で満たされていました。
天の神ヌイトと、地の神シブとは、この水の中で1つとなり、じっとしていました。

するとある日のこと、水の中から、シューという神があらわれてヌイトを頭上高く持ち上げました。
するとヌイトは両手両足を踏ん張って、体中にたくさんの星をひからせました。

またいっぽう、シブはシューの足もとで手足を伸ばしました。
そうすると、植物が生え、動物や人間が動くようになりました。

それらの植物の中に、1本のハスの茎がありました。
そのつぼみがパッと開いて太陽の神ラーがおどりでて、天にのぼりました。
ラーが、天と地をくまなく照らすと、神々が、つぎつぎと生まれました。

ナイル川の神オシリスも、この群れの中にまじっていました。
人々は、ラーにあたためられ、オシリスに潤されながら暮らすようになりました。



日本の神話

バビロニアとエジプトの神話とをくらべると、天地ができあがるまえには水の中に、なにもかも、ごちゃごちゃにまじりあっていたという点が似ています。

日木の神話の中でも、そのような考えが語られています。
日本でいちばん古い歴史の本に『日本書紀』という本があります。
書かれたのは、西暦720年ですが、天地のはじまりのことから書き出してあります。

最初の世界の様子は、ちょうどニワトリの卵の中のようにどろどろに溶けあったようになっていました。

時間が経つにつれて軽くてすんだものは上方にたちのぼり、たなびいて大空となりました。
いっぽう、重くてにごったものは、よどんで大地となりました。

大空が広がるのは、容易かったのですが、大地は、なかなか固まりませんでした。
そこで、男女二柱の神様が雲の上から、矛で地面をかきまわして日本列島をつくったということです。

この日本の神話で感心することは私たちがふだん観察することのできる、蒸発や凝固などの物理現象をよく取り入れていることです。




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