言葉と文字が発明されたのはいつ頃からか? わかりやすく解説!

言葉のはたらき

動物は声を出しますが、人間のように話すことはできません。
話す言葉を知っているということは、非常に便利なことなのです。

たとえば、ある人が山奥でとつぜん、クマに出会いました。
その人が死んだふりをしたところ、クマは噛みつきませんでした。

その人はクマのことを仲間に話して聞かせました。
それを聞いた仲間は、クマにてあっても、まごつかないですむようになりました。

これは、お互いにわかる言葉のおかげです。

また、大人は子どもに自分の経験を話してやりました。
その子どもは、やがて大人になり、子どものころに聞いた話をまた自分の子どもに聞かせます。

こうして昔の人たちの経験が、ずっと後まで伝わるようになりました。


文字の発明

しかし口からロヘの言い伝えの不便な点は、すぐに消えてしまって後に残らないことです。

そこで、人々は言葉を符号であらわし、後の世まで書き残しておく方法を工夫しました。
こうしてできたのが文字です。

人間が文字を書くようになったのは、今から1万年も昔のことです。
もちろん、今日のような紙などありません。
ですから、ほとんど木の板や、石や粘土板に掘り込んだものでした。

このような石や粘土板が、今でもたくさん残っています。

その文字も、はじめは木の幹や石などに刻んだ心覚えのようなもので文字というより、絵に似た絵文字でした。

絵文字はしだいに簡単になり、それを見ただけではもとの形を思いだせないぐらいにまでかわりました。

それが象形文字です。

象形文字は、さらに簡単になり今日私たちが使っている表意文字になったのです。

また、形のないものは表意文字の発言だけを借りいろいろに組み合わせてあらわしていましたがそのうちに発音だけをあらわす表音文字を発明しました。

文字が発明されると人々はできごとや考えを文字で書きあらわすようになりました。
文字にしておくと書いたものがなくならないかぎりいつまでも、間違いなく伝えることができるからです。




火と道具はいつ頃から利用されるようになったのか? わかりやすく解説!

火と道具

火を自由につくりだせるのは、人間だけです。
人間は、この素晴らしい知恵を何万年かの昔に覚えました。

はじめは、自然に起こった山火事の火を乾いた草や木にうつして消えないようにしていました。

しかし、そのうちに、石と石とを打ち合わせたり木ぎれをこすり合わせて、火をつくるようになりました。


火と大昔の生活

火のおかげで、人間は、ほかの動物よりも自由に生活できるようになりました。
恐ろしい獣も火を見ると近よってこないし、寒い地方の冬の夜でも火があれば凍えることがありません。

また、肉や魚を、煮たり焼いたりすることもできます。
生では硬くて食べられなかったものまで、おいしく食べられることがわかったのです。
そればかりか、煮たり、焼いたりすると消化がよいので体もずっと丈夫になりました。

肉や魚などは焼いておくと、長持ちするので毎日の食べ物を集める時間も少なくてすむようになりました。

この余った時間に、人間はいろいろなことを考えたり道具をつくる工夫をするようになりました。

こうして人間は、ますます賢くなったのです。



道具の発明

人間は火を使いはじめたころ道具を発明しました。
今では、私たちの周りに複雑で立派な道具がたくさんあります。

しかし、はじめて使われた道具は、棒切れや石ころでした。
それでも、道具を知らないときよりは、ずっと便利になったに違いありません。

道具の利用

手の届かないところにある木の実も、棒切れで落とすことができます。

硬い肉も、とがった石でわけなく切ることができます。
重い石もてこを使えば、軽々とあげられるし下にころを使えば軽く動かすこともできます。

人間の知恵がもっとすすむと弓矢のような飛び道具、食べ物を入れる土器、丸木船など、いろいろな道具を発明しました。

しかし、こういう道具類は自然にある木や石などを切ったり削ったりしてつくらなければなりません。

つまり、道具をつくる道具が必要でした。

そういう道具として原始人たちがいちばんはじめに使っていたのはとがった天然の石でした。
そのうち、彼らは自然石をとがらせて使うようになりました。

そののち、原始人たちは銅を発見しまもなく銅にすずをくわえて青銅をつくりだしました。

青銅は銅よりもかたく、いろいろな道具に利用されました。
紀元前1000~500年ごろになると鉄器が発明され道具づくりは、にわかに進歩しはじめました。




銀と写真の関係とは? 写真の仕組み・歴史とは? わかりやすく解説!

写真

写真は、1839年に、フランスの画家ダゲールによって発明されたものです。
日本には、1841年に伝わってきたといわれます。

写真は、光にたいして敏感な反応をしめすハ口ゲン化銀をぬったフィルムにレンズを通して景色や人物の像をむすばせその像の光の強さのとおりにハロゲン化銀を変化させたものです。

このうつしとったフィルムを現像するとネガ(陰画)ができこのネガから、印画紙にポジ(陽画)として焼き付けます。

フィルム

銀の化合物のうち、塩化銀・臭化銀などのハロゲン化銀には光によって変化する性質があります。
たとえば、臭化銀に光をあてると銀と臭素とに分解します。

ハロゲン化銀のなかでも、臭化銀がもっともよく光を感じるのでこれを利用してフィルムをつくります。

まず、臭化カリウムと硝酸銀とを反応させ、ゼラチンの中で臭化銀の沈殿をつくります。
これをウォーターバスで温めると、沈殿した臭化銀の結晶が大きくなります。

こうしてできた乳剤を、いちど冷やして固め、細い穴から押し出しきれいに水洗いして、不純物をとりさります。

洗った乳剤は、もういちど温めセルロイドや合成樹脂のフィルムベースの上に流して、フィルムをつくります。

このとき、乳剤の粒子の大きさが大きいと感光しやすいSSSやSSのフィルムができ粒子が小さいと、感光しにくいSやFのフィルムができます。

露光

写真をうつすときにはまずフィルムを写真機に入れ日光や電燈の光のもとでシャッターをあけ、うつしたい物をうつします。

このときレンズから光線がはいり.フィルムに感光します。

これを露光といいます。

写真を正しくとりたいときには、この露光を正確にしなければなりません。
(とくに、天然色写真の場合は、露光がほんの少し多かったり少なかったりしただけでも、暗くなりすぎたり明るくなりすぎたりします)

レンズから入った光線はフィルムに感光し、その感光した部分の臭化銀は分解して臭素と銀とになります。
しかし、このような変化は目で見ることはできません。
それでこれを、せん像といいます。

せん像は、細かい銀の粒子からできています。
つまりフィルム上の臭化銀が、部分的に銀の粒子にかわってせん像をつくっているのです。


現像

光に感光してできたフィルム上のせん像を還元剤を使って目に見える黒白の像に変化させることを現像といいます。
このとき還元剤としては、メトールやハイドロキノンなどの化合物が使われます。
これらの溶液を、現像液といいます。

感光したフィルムを現像液につけると還元剤によって臭化銀が還元され、銀になります。

このとき、フィルムの感光した部分は、すでに銀の粒子ができているので感光していない部分よりも、早く還元されます。

そして、還元された部分は、黒くなってきます。
そこで、感光していない部分の臭化銀があまり還元されないうちに、フィルムを現像液から引きあげます。

現像するときの現像液の温度は使用する現像液によって多少の違いはありますが、ふつうは15~20℃ぐらいが、もっともよいとされています。
また、現像する時間にも気をつけてつけすぎたり早くあげすぎたりすることがないようにしなければなりません。

定着液

現像したフィルムの表面は、還元されてできた銀粒子と還元されないで残った臭化銀粒子とからできています。

そこで、この臭化銀の粒子を取り除かなければなりません。
この作業を、定着といいます。

定着液としては、チオ硫酸ナトリウムの溶液を使います。
現像液からひきあげたフィルムを、この定着液の中につけると定着液中のチオ硫酸イオンが、フィルムに残っている臭化銀と反応して溶かしこんでしまいます。

定着ができたら、充分に水で洗ってから、乾かします。

こうしてできあがったフィルムの像は、明暗が実物と逆になっています。
つまり、実物(写真をとられる物。これを被写体といいます)の明るいところは
黒っぽくなり実物の暗いところは白っぽくなっているので陰画またはネガとよばれます。

印画紙と焼き付け

ネガが完成したら、これを印画紙に焼き付けます。
印画紙は、フィルムの場合と同じようにしてつくった臭化銀などの感光剤を、紙にぬったものです。

この印画祇に、フィルムを通した光をあてるとフィルムに感光したのと同じように印画紙が感光します。

感光した印画紙を、フィルムとまったく同じようにして現像・定着・水洗いをするとこんどは、実物と明暗が同じになった像ができます。

これが私たちの見る写真ですが、陰画にたいして、陽画、またはポジとよばれます。

印画紙に焼き付けるとき、適当な引きのばし機を使うと好きな大きさに拡大することができます。



元素と元素記号とは? 元素の種類と歴史とは? わかりやすく解説!

元素

水は水素と酸素とに分解されますが水素や酸素はどのような科学的方法を使ってもほかの物に分解することはできません。

水素や酸素のように、いろいろな物のもとになりそれ以上は決して分解されないような物を元素といいます。


元素の種類

現在知られている元素の種類は100以上あります。
これらの中には、金・銅・鉄などのように金属として知られている元素かあり
これらは金属元素といわれています。

また、水素・酸素・塩素などのように、金属でない元素がありこれらは非金属元素とよばれています。

このほかに、ゲルマニウム・スズ・アンチモンなどのように金属元素と非金属元素の両方の性質をもっている元素があります。

このような元素は、特に両性元素といわれています。
元素の分け方には、このほかいろいろあります。

例えば、水素・酸素などのようにふつうの状態で気体の元素は、気体元素といわれていますしウランやラジウムなどのように放射能をもっている元素は放射性元素といわれています。



元素の歴史

自然を形づくっている、あらゆる物のもとは何かということは紀元前から考えられていました。

古代中国やインドの「すべての物質は、地・水・火・風・空よりなる」という五大説や古代ギリシアの「あらゆる物質のもとは、水・風・土・火の四つである」という四元素説などが有名です。

しかし、このころの説はただ頭の中で考えられたものであって実際にその説を証明する実験は行われませんでした。

もちろん、これらの説は正しくはありませんでしたがすべての物質のもとになる物すなわち元素という物かあるということを予言した点ではすぐれた考えであるといえます。

中世に経ってから、金でない物を金にかえることと不老不死の薬をつくることを目的とした錬金術が盛んになり、1000年以上も錬金術師の時代がつづきました。

このころの錬金術師たちは水銀と硫黄、あるいは、水銀・硫黄・塩を元素だと考えていました。
錬金術の目的こそ達せられませんでしたが錬金術師たちの長い間の努力によっていろいろな物の扱い方やつくり方の技術はたいへん発達しました。

17世紀以後に、実験をもとにして物を扱う方法が盛んになりイギリスのボイル、フランスのラボアジエなどのすぐれた科学者があらわれて、現在のような元素の考え方が確立されました。

18世紀から19世紀にかけて、次々と新しい元素が発見され今では92種の自然元素が知られています。

また、物質のいちばんもとであると考えられていた元素も特別な方法で変化させ違った種類の元素にすることができるようになりました。

この方法で、11種の人工元素がつくりだされています。




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