電話機の発明
電信機では、符号だけしか送ることができません。
もし、話す声をそのまま相手に伝えることができたら、どんなに便利なことでしょう。
そこで、声を伝える器械をつくる研究がはじまりました。
1876年、アメリカのベルは、電話機をつくることに成功しました。
ベルの電話機は、つぎのようなしくみになっていました。
まず、発信側には1本の棒磁石があります。
1つのはしにはコイルがあり、別のはしの近くには、うすい鉄板があります。
この鉄板は、音によって振れ動きます。
すると、磁石のコイルに誘導電流がおこりこの電流の強さは、鉄板のふれ具合によってかわります。
つまり、音の強い・弱い・高い・低いによって、電流の大きさがかわるのです。
この電流によって、発信側とまったく同じしくみの受信側の鉄板がふれます。
この鉄板の振れが、受信側にいる人には、音声になって聞こえます。
ベルの電話機は、すぐにエジソンが改良しました。
エジソンは、送話器で、鉄板の振動を電流の強弱にかえるのに炭素の粒を使ったのです。
いまの電話機も、もとはベルの受話器とエジソンの送話器のくみ合わせからできているのです。
電灯の研究
抵抗の大きな導線に電流を流すと、導線は熱と光を出します。
「この光を、ろうそくやガス灯のかわりに使うことはできないものだろうか」
ということは、だれもが考えることです。
そこで、たくさんの電気学者や発明家たちが電灯の研究に取りかかりました。
ガラス球の中に導線を閉じ込め、電流を通じます。
導線の種類をいろいろにかえて、この実験を繰り返しました。
そして、溶けにくくてよく光る導線としては、白金や炭素棒がよいことがわかりました。
ところが空気中では、導線が長持ちしません。
そのころは、能率のよい真空ポンプができていたのでガラス球の中を真空にしてみました。
こうすると、導線は長いあいだ明るく輝きました。
このようにして、電灯の研究はだんだんすすんできました。
ところが、ここに困った問題がおこりました。
それは電気の源になる、電源です。
そのころはまだ、今日のような発電機がないので、電源には電池を使っていました。
ある学者は、自分の家の明かりの電源に、電池を使いました。
ところが、電池の亜鉛板を補うのに、月給を全部つぎこんでも足りません。
電灯が実用の時代に入ったのは、発電機が完成しエジソンが電灯を据え付けるのに必要なすべての設備を考えだしてからのことなのです。
発電機の発明
ファラデーが、誘導電流を発見してから
多くの発明家は、発電機をつくることに苦心しました。
磁気のあるところでコイルを動かせば、電流ができることはわかっています。
ところが、実際に大きな電流を取り出すことは、中々できませんでした。
ファラデーが誘導電流を発見してから40年くらい後のことです。
ドイツの電気技術者にジーメンスという人がいました。
彼は電信機をつくったり、電信線をひいたりする仕事をしていた技術者です。
電気のいろいろなことについて経験が深かったので
いままでの発電機のよくない点がすぐわかりました。
そこで、彼は苦心して、流れの大きさがかわらない電流を
ひき続け取り出せる発電機をつくりました。
電気事業がすすむ
発電機が発明され電灯も完成すると、電気の事業はどんどんすすんでいきました。
そして電気は、化学工業にも使われるようになったのです。
電気分解を利用して、めっき・アルミニウム・水酸化ナトリウムの製造などが
おこなわれるようになりました。
また、電動機がつくられ工場などで新しい動力として
さかんに使われるようになりました。
発電所も建てられました。
はじめのころは、火力発電で、発電所は都会の中央に集まっていましたが
そのうちに、水力タービンが発達し、水力発電が考えられるようになりました。
そして発電所は、都会から離れた山奥に建てられるようになりました。
都会では、たくさんの電気を使います。
そこで、どのようにして電気を遠く離れた都会へ送るかが、問題になってきます。
そのために交流でなるべく電圧を高くすると
電気を送りやすいことがわかり、電圧をかえる変圧器も発明されました。
1895年には、ナイアガラ瀑布に水力発電所が建てられました。
この年は、電力が動力として広く使われる、門出の年となりました。