衛星とは?水星と金星の特徴とは? わかりやすく解説!

衛星

地球の衛星である月は別として、いちばん、はじめに発見された衛星は水星の明るい4つの衛星です。

1610年、はじめて望遠鏡を空に向けた、ガリレオが見つけました。
ガリレオはこれを見て太陽系の模型があるといったそうです。

その後、望遠鏡が改良されるにつれて、つぎつぎと発見されいま知られている木星の衛星に、全乱で12個もあります。

衛星の中には、惑星である水星よりも、大きいものもあります。
衛星も自分では光らずに、太陽の光に照らされて輝いています。



水星

水星は、たいへん見つけにくい惑星です。

軌道が太陽にいちばん近いため、いつも太陽の近くにくっついていて太陽の明るさに邪魔され見えにくいからです。

水星が見えやすいのは、最大離角のころです。
このとき水星は、ときによって違いますが、太陽の西か東に18度~28度離れています。

東に大きく離れているとき(東方最大離角のあたり)は夕方、日が沈んで、星が見えはじめたころ、西の地平線を見ると水星が輝いています。

まもなく水星は、太陽の後を追って沈みます。

西には離れているときは日の出前の空が明るくなりかけたころ東の地平線にあらわれます。

最大離角のときでも、見やすい場合と、そうでない場合とがあります。
東方最大離角なら、4月に起こる場合が、もっとも見やすいのです。

この表に載っている日の前、1週間ぐらいのあいだが見ごろです。

そのとき、夕方西の空を探してごらんなさい。
普段は、天文学者でも見つけにくい、水星を見つけることができるでしょう。

水星の直径は4870キロメートルで、地球の約5分の2にあたります。
公転周期は88で、太陽からの距離は、約600万キロメートルです。

水星を望遠鏡で見ても、はっきりした模様はなにも見えません。

そのため、自転周期を調べることが難しくていつも同じ面を太陽のほうに向けているのだろうと考えられていました。

ところが、最近おこなわれたレーダー観測(水生に向けて電波を発射して、跳ね返ってきた電波を調べる)によると自転周期は59日です。

水星には地球のような大気がまったくないので雨や風はなく、生物の住まない死の世界です。



金星

金星は、水星と同じ内惑星ですが太陽といちばん離れているときの角度は46度もあり明るいので、観測しやすい星です。

太陽の東側に来たときは、宵の明星となって、西の空に輝きます。

このようなとき、一番星は、たいてい金星です。
太陽の西側にあるときは、明けの明星となって東の空に昇ります。

金星は、いちばん明るいとき、マイナス4・3等級にまでなり昼間でも、肉眼で見えることがあります。

このときの金星は望遠鏡で見ると、美しい三日月の形にかけています。

金星と地球は、大きさが似ています。
直径は1万2000キロメートルで、地球の25分の24、重さは5分の4です。

太陽からの距離は、1億1000万キロメートルです。

公転周期は225日ですが自転周期はそれよりも長い243日で公転とは反対の向きにまわっています。

1967年10月18日、ソ連の惑星ロケット「金星4号」は金星の表面に着陸に成功しました。

このロケットの観測によると、金星の大気は大部分が二酸化炭素で、表面の温度は280度もあります。

まるで、砂漠のように乾いていて強い風と砂ぼこりの嵐が吹き荒れていると考えられます。
酸素も少なく、温度が高い金星には、生物は生きられないでしょう。




惑星とは?内惑星・外惑星とは? わかりやすく解説!

惑星

惑星が、恒星とまったく違っているところは自分で光らずに、太陽の光を跳ね返して光っていることです。

また、9つの惑星の大きさを太陽にくらべると、下の図の通りです。

97

木星がいちばん大きくて、つぎに、土星・天王星・海王星の順になっています。

地球より内側をまわっている、金星と水星を内惑星、外側をまわっている火星・木星・土星・天王星・海王星の5つを惑星とわけてよぶことがあります。


内惑星

内惑星は、地球の軌道の内側をまわっているので図でわかるように、太陽からある角度以上離れて見えることはありません。

惑星が地球から見て、太陽と同じ方向に見えることを合といいます。

内惑星が太陽の向こう側で合になるときを外合、太陽と地球のあいだで合になるときを内合とよんでいます。

外合のときに、太陽に照らされている面が地球のほうを向いているので、まんまるく光って見えますが内合のときは地球からは、その星の太陽に照らされている面は見えず新月のようになります。

このように、内惑星は、月と同じように、満ち欠けします。
内惑星の満ち欠けを望遠鏡を使って、はじめて確かめたのがガリレオです。

ガリレオは、このことがコペルニクスの考え方を裏付けるということに気付いて、たいへん喜びました。

内惑星が地球から見て太陽といちばん離れたときを最大離角といいます。

太陽の東側で、いちばん離れたときを東方最大離角西側のときは、西方最大離角とよんでいます。

最大離角のときに、内惑星は、ちょうど半月に見えます。



外惑星

外惑星は、内惑星と違って、図のように、太陽と正反対の方向にくることもあります。こうなることを衝といいます。

このとき、外惑星は地球にいちばん近くなっていてしかも夕方に東の空から昇り、一晩中見えていて、夜明けに西へ沈むので観測には衝のあたりがいちばんよいのです。

太陽と同じ方向に見えるときは、内惑星と同じく合といいますが外惑星の場合、内合はありません。

また、地球から見て、太陽の方向と直角の方向にあるとき、矩といいます。

外惑星は、地球から見ている面の大部分が、太陽に照らされて輝いています。
内惑星のように、半円形に見えたり、三日月形に見えたりすることはありません。

惑星の運動

惑星という名は「さまよい歩く星」という意味でつけられたものです。

地球から見ると惑星はふつう、星座のあいだを西から東に向かってすすみますがときには立ち止まったり、逆に東から西に動くこともあります。

惑星に、それぞれ自分の軌道の上を運動していますがそれを別な軌道の上を運動している地球からみるとまるで、さまよい歩いているように見えるのです。




太陽系の星たちの軌道とは? わかりやすく解説!

惑星の軌道

太陽の周りをまわる惑星の通り道は、まるでレールでもひいてあるようにきちんと決まっています。

もちろん実際には、レールもなにもあるわけではありません。
この惑星の通り道は、軌道とよばれます。

衛星が惑星のまわりをまわる通り道も決まっていて、やはり軌道とよばれます。


この惑星の軌道は、円にごく近い楕円を描いています。
みなさんは楕円の書き方を知っていますか。

机に紙を置いて、その上に瓶を2本たてます。
糸をまるく輪に結んで、2本の瓶にひっかけます。

つぎに、鉛筆を糸にかけて、瓶とひっぱりながら動かすと円を押しつぶしたような形が書けます。

糸の長さは同じにしておいて、2本のはりの間隔を広げると細長い楕円がせばめると円に近い楕円が書けます。

はりをたてた2つの点を、焦点といいます。太陽は焦点の1つにあります。

地球の軌道は、直径10センチの円を、上下0.014ミリ縮めたのと同じ形をしています。
こうなると、もう円とほとんど見分けがつかない楕円です。

惑星が太陽をまわる方向は、みんな同じです。
仮に、地球の北極の、ずっと上のほうから、見下ろしたとすると時計の針と反対の方向にまわっています。

惑星の軌道は、どれくらいの大きさなのでしょうか。
私たちの住んでいる地球は、直径が1万2800キロメートルもある人きな球ですがこれを1ミリに縮めてみたとしましょう。

すると、太陽から地球までは12メートルいちばん内側の水星は、太陽から4.5メートルのところをまわりいちばん外側のめい王星は、460メートルも離れたところを、まわっていることになります。

衛星の軌道

衛星が、惑星のまわりをまわる軌道も、やはり楕円です。
この楕円も、たいていは円に近いのですが、なかには、うんと細長いのもあります。

また、木星・土星・海王星の衛星の中にはほかの衛星と反対の方向(北から見下ろして、時計の針と同じ方向)にまわっているものもあります。

ほうき星の軌道

惑星と違って、ほうき星の軌道は、非常に細長い楕円です。

ほうき星の種類によっては、その楕円が太陽をまわって木星の軌道にまで届いているものやさらに、海王星の軌道にまで届いているものなど、いろいろあります。




太陽系の配置とは? わかりやすく解説!

夜の空を見ると、たくさんの星が輝いています。
しかし、これらの星の多くは、いつまで経っても、その位置をかえません。

ところがこの中に、だんだん位置のかわっていく星がいくつかあるのです。
昔の人は、このような星をたいへん不思議に思って、その運動を観察しました。


このいくつかの星のことを、惑星といいます。
昔から知られていた惑星は、水星・金星・火星・木星・土星の5つです。

さて、昔の人々は、これらの惑星が私たちの住む地球のまわりをまわっているのだと考えていました。

しかし、これでは惑星の複雑な運動をうまく説明することができません。

そこで、16世紀になるとポーランドの天文学者コペルニクスが地球も、ほかの惑星たちといっしょになって太陽のまわりをまわっているのだという説を唱えました。

こう考えれば、惑星の運動をずっとかんたんに説明することができます。

しかし、そのころの人は、人間の住んでいる地球は宇宙の中心であるはずだといって、コペルニクスの考えに反対しました。

けれどもいまでは、この考えかたを疑う文明人はいません。
実際に、地球も惑星の1つなのです。

望遠鏡が発明されてから、さらに天王星・海王星・めい王星の3つの暗い惑星が見つけだされました。

それで、惑星を太陽に近い順に並べてみると水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・海王星・めい王星となります。

太陽がお母さんで、惑星は子どもだちというわけです。

この太陽の一家族のことを太陽系というのです。太陽系には、ほかにも、もっと家族がいます。それは衛星です。

衛星は惑星の周りをまわっている星で、太陽にとっては、孫になる星です。

月は、地球の衛星です。



火星には2つ、木星には12、土星11、天王星には5つ、海王星には2つの衛星があります。

水星・金星・めい王星には衛星が発見されていません。

月はいままで、地球のただ1つでしたが、この頃は人間のつくった、衛星――人工衛星――がたくさん地球の周りをまわっていることはみなさんがよく知っている通りです。

しかし、人工衛星は、自然の衛星にくらべると、ずっとずっと小さいものです。

火星と木星のあいだには、小惑星とよばれる小さな星が数万個もあってやはり、太陽を中心にまわっています。

小惑星は、どれも望遠鏡を使わなければ、見えないような暗いものばかりです。

また、みなさんは流れ星を見たことがありますか?

流れ星は、小さな岩やちりが、地球を取り巻く大気の中にものすごい速さで、飛び込んできて光るのです。

この小さい岩やちりを、宇宙塵といいますがこれも太陽のまわりをまわっているもので、やはり太陽系に属しています。

また、ごくまれに私たちが見ることのできるほうき星(彗星)もやはり、太陽系の一員です。

このように太陽・惑星・衛星・小惑星・ほうき星が集まって太陽系をつくっているのです。




太陽の利用と太陽電池とは? わかりやすく解説!

太陽の利用

私たちは、電気とか、石炭・石油を使うことによって間接的に太陽の光や熱を利用していますが1平方メートルごとに1キロワットの割合で注いでいるたくさんの熱量を直接利用することはあまり、おこなわれていません。

その理由の1つは太陽の光や熱を直接、動力にかえる能率のよい機械が、なかなか見つからないからです。


いちばんふつうに日光が利用されているのは洗濯物を乾かすとか魚の干物をつくるなど、物を乾燥させることでしょう。

産業の中で、古くから太陽熱を直接利用してきたものに製塩があります。

海岸の近くの塩田に海水を引き入れ、何日も日光と風にさらします。
すると水分は蒸発して、塩が砂にくっつきます。

この砂を集めて海水をかけると非常に濃い塩水ができます。
これを煮詰めて塩をつくるのです。

太陽熱を鏡で傷めて湯を沸かしたり、料理をつくったりすることも実験的におこなわれています。

太陽の光を虫眼鏡で集めると紙がかんたんに焼けることは、よく知られています。

ただ面倒なのは、太陽を追い駆けて鏡がまわるように動ける装置をつくらなければなりません。

この装置は、費用の多くかかる、複雑なものになります。

また、曇った日とか夜には、全く役に立たないこと鏡にほこりがつくと具合が悪いことなどが日常生活に不便な点です。

しかしこの方法は、晴れているかぎり割合かんたんに高い温度がつくられますから、実験装置には向いています。

鏡で太陽熱を集め、数千度という高温を出す機械を太陽炉といいます。

アメリカ合衆国では、9メートル平方の凹面板に180枚の鏡をつけた大がかりな太陽炉がつくられ核爆発などのときに起こる高熱をふせぐための研究がおこなわれています。

この太陽炉では、3000度くらいの高温をつくることができます。

家庭で役に立つのは温水器です。
ガラス張りの箱に水を入れ、日当たりのよい南側の屋根の上に置くと晴れた日には冬でも風呂に使うくらいの湯は充分につくることができます。

外国では、大がかりな温水器で部屋を温かくする実験も試みられていますが曇った日が続くことも考えられますから太陽熱だけで部屋を温めるということは無理でしょう。

しかし、日差しが強く、曇る日の少ない地方ではガラス箱式の湯沸しは、たいへん役に立ちます。

太陽熱を利用した蒸留器も、ソ連ではつくられています。
中央アジアには、井戸水に塩分がふくまれていて、にがからいところがあります。

この塩水は、一度沸かして蒸気にし、それを冷やして真水にしないと飲むことができませんし、自動車のエンジンを冷やすこともできません。

そのうえ、この地方では燃料もあまり多くとれないのです。
しかし、都合のよいことには中央アジアは1年のうちに300日も晴れて太陽はじりじりと、照りつけています。

この太陽熱で、井戸水を蒸発させ、真水をつくって浴場や、工場・住宅などに水道をひいています。



太陽電池

ある物質は、光が当たると電気が流れる性質をもっています。
言いかえると、この物質は太陽の光を吸い取って、それを電気にかえるのです。

これを光電池とか、太陽電池といいます。写真機の電気露出計も、その一種です。

いまのところ、光から電気にかえることは、能率がよくないのでふつうの電気を使うより、ずっと値段が高くつきます。

しかし最近では人工衛星とか、人里離れた海辺の灯台や山奥の無電中継所のようにふつうの電気を利用できないところの電源に使われるようになりました。

太陽電池は、これからますます進歩することと思われます。

屋根いっぱいに太陽電池を張り、日が照ってさえすれば1滴のガソリンも使わずに何万キロメートルも走り続ける自動車かできるかもしれません。

また、広い砂漠に太陽電池を敷き詰めて太陽熱発電所をつくりそこを、すばらしい工業地帯に、つくりかえることも遠い夢ではないかもしれません。




太陽の恵みとは?もし、太陽がなくなったら? わかりやすく解説!

太陽と生命

太陽の光と熱は、地球上のすべての生物の育ての親です。

たいていの植物に、空気中の二酸化炭素と、地面から吸い上げた水分とで必要な栄養分をつくりますが、このはたらきをおこなわせるのは太陽の光の力です。

ですから、日光がなければ植物は生長しません。
稲とか麦のような穀物に、太陽の光を非常によく栄養分にかえる植物です。

人間をはじめとして動物は植物のように空気中から栄養分をつくる力をもっていないので植物か、植物を食べているほかの動物を食料にしなければなりません。

1杯のごはん、1切れの肉、1さじの砂糖、これらには目で見ることはできませんが日光がしまいこまれているのです。

私たちは、太陽の光を食べて生きているといっても、決して言い過ぎではありません。

もちろん、生物の生長には光だけでなく、温かさもたいヘん大切です。

地球に太陽から送られてくる熱で、ほどよく温められていますがもし太陽の熱がなかったら、生物はいっぺんに、凍え死んでしまうでしょう。


動力の源

人類は、文明が進むにつれて多くの機械を使うようになりました。
しかし、太陽の輝きがなかったら機械をはたらかせる動力の源もありません。

水車とか風車のような原始的な機械も太陽の力によって動いています。

なぜなら、川に水が流れるのに雨が降るからですが雨が振るためには地表の水が太陽熱で蒸発しなければなりません。

風車を動かす風は空気が太陽熱で温められ空気中に温度の差ができるために起こるのです。

いまでは、機械を動かすには、おもに電気・石炭・石油などを使います。

水力発電は、高い山に振った雨水が低い場所に流れ落ちるときのものすごい力を利用しています。

ですから、大都会の夜を明るく照らす電灯やネオンサインの光は何日か前に、どこかの海の水を蒸発させた太陽の光と熱が形をかえているものなのです。

石炭や石油は、日光の当たらない地面の下から掘り出すので太陽とは関係がないように見えます。

しかし、石炭は遠い昔、いまから数千年万年も前に地上にしげっていた植物が積み重なり、厚い土に埋もれてできたものです。

石油は古代の海や湖に住んでいた生物の残骸が長い間に堂上に積み重なった土の圧力と熱で化学変化を起こして油にかわったものです。

ですから、昔太陽が地球を照らさなかったなら1かけらの石炭も、1滴の石油も地球上にないわけです。

火力発電所のタービンを動かす石炭や、自動車のエンジンを動かす石油は大昔に地球に溜めこまれた、太陽の光と熱の缶詰にあたるわけです。

このように、私たちの生活の大部分は太陽の恵みを受けているのです。




太陽からの電波の正体とは?デリンジャー現象・磁気嵐とは?

太陽からの電波

太陽からは、光や熱だけでなく、電波も出ています。

もちろん、私たちの目は電波を見ることはできませんからふつうの望遠鏡では太陽からくる電波を捕まえることにできません。

太陽から出てくる電波を観測するには、電波望遠鏡を使っています。

太陽の表面には、黒点が出たり、紅炎があらわれたりしますが大阪全体からくる光の強さは、1年を通しても、1パーセントも変化しません。

ところが電波の強さは、日によって非常に違いまた2日のうちでも、ときには数十倍、数百倍といきなり強くなることがあります。

電波が急に強くなるのは、太陽の表面で爆発が起こったときに多いことつまり、太陽の活動が激しいときに電波が強くなることがわかっています。

このように、太陽の活動は、電波にいちばんはっきりあらわれます。

そのうえ、電波に雲に邪魔されることなく平気で突き抜けてきますから、天気の悪い日でも電波を観測していると太陽の活動する様子を知ることができます。


デリンジャー現象と磁気嵐

太陽表面で爆発が起こると太陽は電波だけでなく電子や原子などの小さな粒を飛び出させています。

ところで、地球のまわりには、電離層といって電波を反射するところがあります。

遠くまで、ラジオ放送や無線通信ができるのは発信された電波が、この電離層で跳ね返ってくるためです。

ところがこの電離層は太陽から飛んできた小さな粒がぶつかると激しく乱されます。

このため、電波が跳ね返ってこられないのでラジオ放送や無線通信の感度が突然下がってときには、まったく感度がなくなってしまうことがあります。

これをデリンジャー現象といい、数分から1時間も続くことがあります。

1960年のローマオリンピックのときこの現象が起きて各国ともオリンピックの報道に、たいへん苦労しました。

通信が邪魔されるだけでなく、いままで北を指していた磁石の針が狂ったりします。

これを磁気嵐といいます。

磁気が起きると羅針盤を使って航海している船はほかの方法で方角を調べなければならなくなります。

これらの小さな粒は太陽の黒点の活動と深い関係があるのですがこの粒が、どのようにして飛び出してくるかは、まだよくわかっていません。




太陽の光と熱の正体とは?太陽が熱や光を出すしくみとは?

太陽の光

大気のよい日、太陽が地面を真上から照らす明るさは1メートルの高さに置いた100ワットの白熱電球の1000倍の明るさにあたります。

太陽は、約1億5000万キロメートルの遠くから太陽の表面からでてくる光の量は非常に多いということがわかります。

実際に、太陽の表面が出している光を計算すると1平方センチについて100ワットの白熱電球500個分の明るさに輝いていることになります。

太陽を直接見つめると、目を傷めるのも不思議ではありません。


スペクトル

太陽の光をプリズムにあてると、虹と同じように
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の7色にわかれきれいな光の帯ができます。

プリズムを通してわけられた光の帯は、スペクトルとよばれています。

紫外線と赤外線

このように目に見える光のほかに、太陽からは私たちの目には感じない光線もやってきます。

それらのうち、プリズムを通すと紫色の光の外側にくる光線を紫外線赤色の外側にくる光線を赤外線といいます。

ブラウンホーファー線

太陽のスペクトルをよく見ると美しい色の帯の中に、たくさんの暗い筋が並んでいます。
この暗い筋は、スペクトル線とか、発見者の名をとってフラウンホーファー線とよんでいます。

このフラウンホーファー線の様子から光を出しているガスが、なにからできているかまた、それらのガスがどのようになっているかなどを知ることができます。

そして、この観測から、太陽の大気中には水素・ヘリウム・炭素・窒素・酸素・ナトリウム・マグネシウム・鉄などの多くの元素があることがわかっています。



太陽の注ぐ熱

太陽から地球の表面に注がれる熱は日本の緯度では夏の12時ごろで1平方メートルごとに約1キロワットです。

いいかえると、太陽は昼ごろには、1キロワットの電気ストーブを1平方メートルごとに1台ずつつけた割合で地面を温めているのです。

ですから、日本全体に注ぐ太陽の熱は3700億キロワットになります。

(日本の総面積は37万平方キロメートル)日本の電力料金は1キロワットの電気ストーブを1時間つけて、約10円です。

その割合で、太陽が暖房費を取り立ててきたら日本全体では1時間に3兆7000億円のお金を払わなければならないわけです。

太陽は何十億年という大昔から、このような多くの熱や光を出して輝いています。では、この熱や光は、いったいどうしてえられるのでしょうか。

水素爆弾が爆発すると、ものすごく大きな力と熱と光を出すことはよく知られています。
これは、水素の原子が、ほかの原子にかわるとき、大きな力と熱を出すためです。

太陽では、考えもつかないような大きな水素爆弾が、いちどに、その上、休みなしに爆発しているのだといえましょう。

太陽では、水素がたえずヘリウムという原子にかわっていてこのため、ものすごい熱や光を出して輝いているのです。
その熱は、太陽の表面で約6000度、中心では2000万度もあると考えられています。




太陽の大気はどうなっているの?彩層・コロナとは?

地球の周りを空気が取り巻いているように太陽の光球の周りにも、うすいガスの層が取り巻いています。

これを太陽の大気といいます。
しかしふつうは、光球の強い光に邪魔されて、見ることができません。

そこで、太陽の天気を研究するには、光球からくる強い光を通さないで大気のかすかな光だけを拾い上げる、特別な装置を使ったり月が光球をすっかり隠す、皆既日食を利用します。


彩層

皆既日食のとき、月が光球をおおい隠した瞬間うす赤い色の光が、周りを取り巻いているのが見られます。

これは彩層とよばれ、光球より温度の高いガスでできていて厚さは、1万キロメートルくらいあります。

普段の日に、彩層の様子を調べるには彩層のうす赤い光だけ取り出す特別な望遠鏡を使います。

すると、ときどき太陽のふちから数万キロの高さに光の炎が燃えたっているのを見ることがあります。

激しい勢いで、下から上に飛び出していくのもあれば高いところに、突然明るい点があらわれそこから光が滝のように表面に落ちていく場合もあります。

また、地球上の雲のように、ぽっかりと上に浮かんでいることもあります。

これらは、プロミネンス(紅炎)といわれていて大きな黒点の上空にあらわれるのがふつうです。

また彩層からくるうす赤い光をながめていると大きな黒点の付近が急に明るくきらめくことがあります。

これを太陽面の爆発といいますが太陽の大気中で起こるもっとも激しい嵐で光のほかに強い紫外線や、電気をもった粒を吹き出します。



コロナ

太陽のいちばん外側は、コロナがとりまいています。

コロナは、彩層よりさらにうすいガスの大気で密度は、空気の数兆分の1、光の強さは光球の100万分の1ほどしかありません。

下は彩層に続き、上は数百万キロメートルの高さにまで広がっています。

黒点の数が多くあらわれる時期にはコロナはまるく広がって中心から放射状の光の筋が走り、ダリアの花のようです。

黒点が少ししか見えない年には、ひしゃげて、東西の平たい形をしています。

昔は皆既日食がコロナを見ることのできるただ1つの機会でしたが最近では望遠鏡の中に光球を遮る円板を置き人工の日食を起こさせるコロナグラフが発明されてコロナの内側の明るい部分は、いつでも観測できるようになりました。

しかし空気中にごみの多い平地では、この器械を使ってもコロナは見えません。

そこでコロナの観測は、空気のよく澄んだ高い山の上でおこなっています。
日本では、飛騨山脈の乗鞍岳の山頂近くに、コロナ観測所がつくられています。




黒点の形と大きさや動きとは? 黒点のあらわれ方とは?

黒点の形と大きさ

望遠鏡で見るとふつうの黒点には、中心に真っ黒い部分(これを本影とか、暗部という)があってそのまわりを、うす暗い半影(半暗部ともいう)がとりまいています。

しかし、なかには本影だけとか、半影だけどかまた、1つの半影の中に、たくさんの本影が散らばっているという複雑な黒点もあります。

黒点には、1つだけぽつんとしているものと2つ以上の黒点がかたまって、群れをつくっているものとがあります。

黒点の群れは、東西に並んだ2つの組にわかれているのがふつうでこれらは、ふたごの黒点とよばれています。

太陽が非常に大きいので、黒点にちっぽけな染みのように見えますが実際は、ずいぶん大きなものです。

小さなものでも、直径に数百キロメートで大きな黒点になると半影の直径は数万キロメートルにもなります。

地球の直径が1万2700キロメートルなのですから黒点がどんなに大きいかがわかるでしょう。


黒点の動き

黒点を続けて観測していると、前日の位置より少しづつ西へ動いていくのがわかります。

これは、太陽が地球と同じように自転していて黒点が裏面についたまま、東から西へ運ばれてくためです。

東のはしから顔を出した黒点は、ほぼ13日あまり建つと西の淵につきます。

白いボールに黒点をあらわすマークをつけて、ゆっりまわしてみましょう。
指の自転とともに、黒点の見え方が、どのようにかわるかがわかります。

正面で大きく見えていても、はしのほうにまわるななめになるので小さく、ひしゃげて見えるでしょう。

黒点の一生

黒点の様子を注意して見ていると、はしにいるときは小さく正面にきたとき大きく見えるだけでなく形が、たえず変化しているのに気づきます。

小さな黒点の多くは、あらわれてから、2、3日で消えてしまいますが中には、まわりに小さな黒点がたくさんできて、ふたごの黒点群になるものもあります。

また、群れをつくる黒点の1つ1つがお互いに動いたり、1つの黒点が2つ以上の小さな黒点に分かれることもあります。

大きな複雑な形をした黒点になると2か月以上も続くことがあります。

このような場合には同じ黒点が太陽の自転によって2回も3回も、こちら側に見えたり、向こう側に隠れたりしてかくれんぼうをするわけです。



黒点のあらわれかた

黒点は、いつも同じ数だけ、太陽の表面に見えるのではなくそのあらわれかたに、おもしろい決まりがあります。

おる時期には、1つも黒点の見えない日が数週間も続きます。

それから、黒点の数はだんだん増えてきて非常に多くあらわれ、太陽の表面が染みだらけに見える年がやってきます。

その後は、また黒点のの数に減り、だいたい11年ごとに同じようなうつりかわりを繰り返します。

最近では、1954年の1~2月ごろが黒点の少ない時期で1957年の9~10月ごろかが黒点の多い時期でした。




太陽の表面はどうなっているの?光球とは? わかりやすく解説! 黒点とは?

光球

望遠鏡や、すすをつけたガラスを通して太陽を見ると白く輝く円板のように見えます。これを、光球(光のたま) といいます。

ちょっと見ると、月のようなものももなく、どこも同じように明るい球のようです。

しかし、よく注意して観察すれば全体が同じ明るさに光っているのではなくて、中心部が強く輝いてふちのほうが少し暗くなっていることに気がつくでしょう。

これは太陽の裏面が、高温(6000度くらい)のガスである証拠です。
なぜなら、固体や液体では、表面全体が同じように輝くはずだからです。

ですから、光のたまといっても、野球のボールのように硬い表面をもった球ではありません。

私たちが、太陽の表面と考えてみているのは実は、厚さ300~400キロメートルものガスの層なのです。

地球では、地面と、それをとりまいている空気とが、はっきり区別つきます。

しかし太陽では、光り輝く本体から、周りのうすいガスの層へだんだんにうつりかわっていますから、地球の地面のようにここまでが本体だという、はっきりした境はありません。


黒点

太陽の表面には暗いしみのような黒点が、ときどきあらわれます。
大きな黒点があらわれたときには、すすのついたガラスでも見ることができます。

黒点が黒く見えるのは、温度が低いからです。

しかし、温度が低いといってもそこが周りの部分にくらべて低いというだけで黒点が冷たい場所だというわけではありません。

黒点の温度は、400~500度といわれているほど、実は高温なのです。

家庭用の自熱電球が、明るく輝くのはタングステンのフィラメントが高温で熱せられて光るためですがこのフイラメソトの温度でも、せいぜい2500度くらいで黒点の温度より、はるかに低いのです。

ですから、黒点が黒く見えるのは、周りがそこよりもはるかに明るいためで実際には、電球などにより、ずっと明るく輝いているのです。

もし、大きな黒点だけを残して太陽のほかの部分を取り去ったとしても地球上は決して暗くなりません。

黒点は、満月の10倍以上も明るい光を出しまぶしくて、肉眼では、まともに見ることはできないでしょう。



白い粒

小さな望遠鏡で観察できる太陽の表面の模様は黒点だけですが、大がかりな機械を使うと、ずっと細かなものも見えてきます。

ちょっと見たところ、では白く同じような明るさに見える部分も実は小さなブツブツにおおわれているのです。

ちょうど、灰色の紙の上に白い米粒をばらまいたように小さく輝いている斑点が周りの少し暗い部分からくっきりと菅らを見せて輝いています。

このブツブツを粒状斑(白い粒)といいます。

白い粒の直径は、数百から千キロメートルほどで太陽の表面には、たえず200万もの白い粒が、あると見られています。

写真に撮ると、よくわかりますが白い粒は非常に早く変化し1つ1つは1、2分ほどしか続きません。

数分のうちに、全体の様子がすっかりかわって太陽の表面がたえず激しく荒れ狂っていることをよくしめしています。

白い粒の招待は表面の下から、たえず湧き上がってくる厚いガスの固まりだろうと考えられています。

それぞれは、太陽にくらべれば、ごく小さな塊ですがなにぶん非常に大きいので、たいへん熱を運んでいることでしょう。




太陽観察のしかたとは? わかりやすく解説!

太陽の光はたいへん強いので、直接太陽を見ると目を傷めます。

必ず石油やろうそくなどでいぶして、すすをつけたガラスとか濃い色ガラスや、まっ黒に感光させた写真の乾板などを使いましょう。

望遠鏡は、多くの光を、焦点に集めさすから、望遠鏡で直接太陽を除くと、いっぺんに目を焼きます。

そこで、対物レンズの口径をしばり、接眼レンズに濃い色ガラスなどをはめて、目を守るようにしなければいけません。


太陽を観察するには、口径3~5センチの小さな望遠鏡で、充分役立ちます。
倍率が高すぎると、太陽の表面の一部しか見えません。

全体を見るためには、40~50倍の望遠鏡がいちばんよいでしょう。
望遠鏡で観察するには、次のようにすると安全です。

まず、望遠鏡からうで木をだし、前後に動かせる板を取り付けこの板に白い紙をのせて、接眼レンズから20~30センチの距離にくるようにします。

望遠鏡を正しく太陽に向けて、接眼レンズを少し出し入れすると紙の上に、太陽の姿が、きれいにうつし出されます、

なお、紙に太陽の光が直接あたるのをふせぐために接眼レンズの筒の周りに、おおいをつけるようにします。

紙にうつった太陽の姿が大きすぎたら板の市を接眼レンズに近づけ、小さすぎたら遠くするようにします。

太陽面の小さな黒点は、紙のしみや傷と間違いやすいのですが紙を板の上で細かく動かすと区別ができます。

この方法を投影法といいますが、投影法で観察すると目を守ることもできますし、いちどに大勢で見ることができて便利です。

望遠鏡で直接太陽を見ると、肉眼で見たときと、上下左右が全く反対になります。

上が南、下が北、左が西、右が東という具合です。
太陽の姿を紙にうつしたときには、左右だけが入れ替わり上が北、下が南、左が西、右が東になります。

また、紙にうつした太陽を、紙の裏から見ると肉眼で観察したときと同じ方向になりますから黒点の動きなどを望遠鏡で観察するときには方向のとり方に注意しなければいけません。




太陽の大きさと地球からの距離とは? わかりやすく解説!

見かけの大きさ

太陽は、どのくらいの大きさに見えるでしょうか。

昔、夕日を眺めた人が「夕日は、遠くの山より大きい」というと針の穴から除いた人が「いや、針の穴より小さい」といって反対したということです。

たしかに、大きなものでも遠くからみれば小さく感じられますし、小さなものでも鼻先にぶらさげてみれば大きく見えます。

目で見て感じる大きさに、そこまでの距離によってかわってきますから「太陽にお盆ぐらいの大きさに見える」というような言い方は正しくありません。


見かけの直径

見かけの大きさは正確にいうと物の両端と目を結ぶ2直線のあいだの角度が大きいほど大きく感じられます。

そこで、太陽や月のように、まるい形の天体の見かけの大きさは天体の直径の両はしと目をむすぶ2直線のあいだの角度であらわしこれを見かけの直径(視直径)とよんでいます。

太陽の見かけの直径は、約32分です。

直径1センチの円板を、1メートル先におくとおよそ太陽と同じくらいの大きさに見えます。

このことから、太陽の実際の直径は、地球から太陽までの距離の約100分の1にあたることがわかります。

また、月の見かけの直径も32分くらいで、太陽とほとんど同じです。
このため、日食のときには、太陽がすっぽりと月に追い隠されてしまうのです。

しかし、地球から太陽までの距離は、月までの距離にくらべて400倍も遠いのですから、見かけの大きさよは同じでも実際の太陽の直径は月の直径のほぼ400倍もあることになります。

朝日と夕日の大きさ

朝、東から昇ってくる太陽や、夕方、西に沈む太陽は昼間、空高く輝く太陽より、大きいように感じられます。

しかし、これは私たちの目が誤魔化されているためでつぎの実験をすれば、昼間の太陽も夕日も見かけの直径がかわっていないことがわかります。

実験

ボール紙で、長さ50センチくらいの筒をつくります。

その一方のはしに、濃い色ガラスをはめこみ、もう一方のはしには2本の糸を筒の長さの100分の1(筒の長さが50センチなら5ミリ)だけ離して平行に張ります。

この筒を通して太陽を覗いてみると、朝日も夕日も昼間の太陽と同じように2本の糸のあいだにぴったりはさまれていて見た感じが違っても、見かけの直径は同じであることがあります。



実際の大きさ

太陽の実際の直径は139万キロメートルで、地球の直径の109倍あります。
ですから、表面積は地球の1万2000倍、体積は地球の130万倍ということになります。

もし太陽の中に地球を詰め込んだら、丸ごとが90万個隙間を詰めるために細かく砕いたのが、さらに40万個も入ることになります。

また、太陽の中心に地球を持ってくると地球をめぐる月の軌道もすっぽり含まれてしまうのですから、どんなに太陽が大きいかがわかるでしょう。

時速1000キロメートルのジェット機で休まずに飛んで地球を一巡りするには40時間ほどかかりますが、同じジェット機で太陽を一回りすると6か月もかかることになります。

太陽の重さは、地球の33万倍で太陽系の惑星全部を合わせた重さにくらべても
750倍も重いのです。

この重さを卜ンであらわすと2000000000000000000000000000トン(0が27) にもなります。

もし太陽を小さく壊して、5トン積みの大型トラックで運ぶとすると億の億倍のまた億倍、それのさらに400倍ものトラックが必要になるのです。

太陽までの距離

太陽の実際の直径は、太陽までの距離の、ほぼ100分の1であると前にいいました。
太陽の直径は139万キロメートルですから太陽までの距離は、およそ1億3900万キロメートルぐらいと見当がつくでしょう。

正確には、平均1億4960万キロメートルで地球の軌道が楕円なので、毎日少しずつかわっています。

1月には最も近く、約1億4700万キロメートル、7月には最も遠くて、約1億5200万キロメートルになります。

光は、1秒間に地球を7回半もされる速さをもっています。
しかし、このすばらしい速さの光でも太陽から地球にくるまでには8分19秒もかかるのです。

もし私たちが歩いていくとすると、休まずに歩き続けても4000年以上もかかることになります。

超特急「ひかり」号に乗っても、地球を出発してから100年近くも経たないと太陽につくことができません。

地球上でいちばん速い乗物のロケットでも(秒速10キロメートル)半年くらいかかるほど地球から太陽までは遠く離れているのです。




アイソトープの利用はいつ頃から? わかりやすく解説!

アイソトープの存在もまた原子の不思議の1つです。
水素爆弾のところで重水素・三重水素というのがでてきました。

くりかえしますと、ふつうの水素では原子核は1個の陽子で、そのまわりを2個の電子がまわっています。

ところが重水素の原子核は、1個の陽子のほかに1個の中性子を持っています。
また、三重水素には1個の陽子、2個の中性子がふくまれています。

そこで、重水素、三重水素の原子量はふつうの水素のそれぞれほぼ2倍、3倍になります。

このように、原子量は違っても.科学的な性質(たとえば酸素と結合して水をつくるといった)がほとんどまったく同じ物質をイギリスのフレデリック=ソディは同位体(アイソトープ)と名づけました。


はじめのころは、ごく特別なものだけに同位元素があると考えられていましたが1919年に、イギリスのフランシス=ウィリアム=アストンは原子の重さ(原子量)のわずかの違いを区別できる質量分析器というたいへん便利な装置を開発、これを使ってほとんどすべての元素が同位体をもっていることをつきとめました。

ソディは1921年、アストンは1922年いずれも同位体の研究でノーベル化学賞をうけました。
さて、同位体の中には放射能をもっているものもあります。

フランスのアンリ=ベクレルが1896年、ウラン化合物の放射能を発見ついで1898年、同じくフランスのピエール=キュリー・マリー=キュリー夫妻は放射能をもつ元素ポロニウムとラジウムを発見し、分離することに成功しました。

これらの放射性元素は、放射線で(アルファ線・ベータ線・ガンマ線)をはなちながらしだいに壊れていき、別の元素にかわってしまいます。

たとえば、ラジウムは鉛にかわってしまいます。

元素は不変なもの、と長いあいだ信じられていたことが放射性元素の発見でくつがえされてしまったのです。

アルファ線というのは、ヘリウムの原子核(陽子2、中性子2)の流れです。
アルファ線がでて、原子核が壊れることがアルファ崩壊といいます。

アルファ崩壊が起こると、もとの原子の原子番号は2、質量数ぱ4だけ少なくなります。

ベータ線は、中性子が陽子にかわるときに出る電子の流れでベータ線が出てベータ崩壊が起こると陽子が1つ増え中性子が1つ減ることになりますのでもとの原子の原子番号は1つだけ増え質量数はかわりません。

ガンマ線は、透過力の非常に強い、一種の電磁波です。

さて、放射性元素から出る放射線は、さまざまな利用面か持っています。
たとえば、ラジウムから出るガンマ線はいまでもガンの治療などに用いられています。

しかし、利用の道が広いのは放射性同位体です。



たとえば、放射能をもっているウラン235は放射能を持たないウラン238への放射同位体こそがその核分裂性を利用して、原爆や水爆をつくりまた原子力発電をおこなわせることについてはすでに述べました。

このような放射性同位体は、原子炉の中などで人工的につくりだすこともできます。

たとえば、放射能をもたないウラン238に中性子をあてるとプルトニウム239という放射能をもった人工放射性同位体が得られます。

これも原爆で原子力発電の核燃料に用いられます。

とくに用途の広い放射性同位体に、原子炉の中で鉄に中性子をあてて得られるコバルト60です。

これに強いガンマ線を放出し、しかも、ラジウムよりたいへん多量に供給できるのでラジウムのかわりとして、ガンの治療にさかんに利用されています。

またコバルト60のガンマ線を使って、農作物の品腫改良もさかんにすすめられています。

たとえばイネの種にコバルト60からのガンマ線をあてるといろいろなかわりもの(突然変異体)ができますがその中から優秀なものを選び出していくというわけです。

日本の農林省農業技術研究所も茨城県大宮町にガンマーフィールドという大規模な、放射線による農作物の品種改良試験農場をもっておりすでにいくつかの輝かしい成果をあげています。

このガンマ線は工業界でもさかんに利用されています。

たとえば合成繊維やプラスチックをつくるときにこの放射線をあてると、ふつうでは起こりにくい化学反応が簡単に進行していろいろなめずらしい、新しい利用面をもったものがつくれるのです。

日本原子力研究所の高崎研究所は、放射線の工業への利用を専門に研究しているところです。

同位体の中にはトレーサー(追跡子)として使われるものもあります。
放射性同位体のリン32・ヨウ素132などです。

リンは骨の成分であり、ヨウ素は甲状腺から分泌されるサイロキシンというホルモンの成分です。

そこで、放射性のリンやヨウ素を体内に入れることによってリンやヨウ素がどのような経過で骨やホルモンの中にふくまれていくかつまりは生体のからくりがつかめるというわけです。

また、炭素14も同じような目的につかうことができます。
ふつうの炭素は原子量が12ですから、炭素14はそれよりも重い同位体です。
この重い炭素をふくむ二酸化炭素をつくり、これを植物に吸わせます。

すると、植物が二酸化炭素と水と太陽光線とからぶどう糖でんぷんなどをつくりあげる光合成のしくみが炭素14の行方を手がかりにして解き明かされるというわけです。

また古代の化石植物(あるいは建造物)などにふくまれる炭素14を分析してその年代を知る放射線年代測定法にもさかんに利用されています。




原子力発電のはじまりはいつ頃? わかりやすく解説!

原子力の利用は、不幸なことに核兵器という全人類を破滅に導くような悪魔の兵器をつくるということではじまりました。

そしてこの軍事面での原子力の利用はいまもなお続いています。


しかし一方では、原子の核の中に潜められているエネルギーをたとえば電気にかえてエネルギー問題を解決しようという研究もすすめられています。

アメリカがビキニ環礁で水爆実験をおこなったつぎの年すなわち1955年にスイスのジュネーブで、第1回国際原子力利用平和会議が開かれました。

このときソ連は出力5000キロワットの原子力発電所をすでに運転中と発表して世界中を驚かせました。

原子炉の中で、充分にコントロールしながら(制御棒というものを使い、余分の中性子を吸収させます)ウラン235や天然ウランなどの核燃料を燃やす(連鎖的核分裂反応を起こさせる)と非常にたくさんの熱が放出されます。

この熱で水を高温・高圧の蒸気にかえあとはふつうの火力発電と同じように電気を起こさせるのが原子力発電です。

ソ連で5000キロワットの原子力発電所が動き出してからまだ10年そこそこしか経っていないのに今日では全世界ですでに70基以上の発電炉が運転されており1000万キロワット以上の電気が原子力によってつくられています。

また小型で性能のよい原子炉を商船や砕氷船・潜水艦に乗せれば1年以上も燃料の補給なしに走り続けることができます。

アメリカの原子力商船サバナ号、ソ連原子力砕氷船レーニン号アメリカやソ連のたくさんの原子力潜水艦がその例です。

もちろん原子力の平和利用にも問題はあります。

たとえば原子力発電による電気代が今までの火力発電による電気代と同じくらいにすることができるかどうか燃えカスである死の灰を安全に処理できるかどうか(原子炉の数が増えるにしたがい、この問題は悩みの種になっています)原子炉は事故を起こさないか、絶対の安全が確保されるかどうか(イギリスでもアメリカでも事故が起こり、死の灰がばらまかれたことがあります)といったことなどです。

しかし、これらの問題はいずれは満足のいくように解決されるでしょう。
怖いのは、やはり軍事利用の原子炉の問題です。



たとえば1968年5月6日、佐世保港に寄港していたアメリカの原子力潜水艦ソードフィッシュ号は異常に高い放射線をふくんだ水を排出して(アメリカは排出しないと言い張りましたが)、日本国民に大きな不安の種をまきつけました。

公海上では米ソの原子力潜水艦がどんなにたくさんの放射能をまきちらし海水を汚染しているかわかりません。

原手力潜水艦の沈没事故もありました。
座礁あるいは、衝突して原子炉が壊れ一挙に多量の放射能がばらまかれる危険もあります。

それにプランクトンに吸収され、それを食べた小魚の体にうつり小魚を食べた大形の魚の体内に入ることになります。

そのあいだに、放射能はしだいに濃縮された形となり魚を食料とする人間の体を、しだいしだいに蝕んでいく危険も考えられます。

さて、核燃料ウラン資源が、いつかはなくなってしまうことも考えなければなりません。
そこで、海水の中に無限にある重水素を利用する核融合による発電ということもさかんにすすめられています。

この方法ですと、危険な死の灰もほとんどでないということで大きな期待をもたれてはいるのですが、いつ実用化されるか予測することはできない状態です。




水素爆弾が登場・開発されたのはいつ頃? マンハッタン計画とは?

マンハッタン計画

アメリカはただちに、アメリカの科学者およびアメリカに亡命していた世界中のすぐれた科学者たちを集めまたアメリカの工業力をあげて原子爆弾開発計画(ニューヨークにあるマンハッタン工兵管区の陸軍大佐レスリー=グローブスがその推進役に任命されたため、マンハッタン車両という暗号名でよばれました)に着手しました。

その直接の動機は、ハンガリーからアメリカに亡命した物理学者レオ=シラードがアインシュタインを通じてときの大統領ルーズベルトに進言したためです。

たくさんの科学者、技術者たちの夜も日もない突貫的な研究の末2年後1945年の夏に入ろうとするころついに最初の原子爆弾(プルトニウム爆弾)がニューメキシコ州ロスアラモスの研究所で完成7月6日、アラモゴルドの砂漠で爆発実験がおこなわれました。

そして同じく1945年の8月6日にはウラニウム爆弾リトル=ボーイが広島にそして3日後の8月9日にはプルトニウム爆弾ファットマンが長崎に投下され一挙に何十万というたくさんの日本人を殺ししかもそのときの死の灰にさらされた人たちはいまだに恐ろしい放射能障害のために、地獄の苦しみにあっているのです。

この原子爆弾(原爆)は1つでそれまでに使われていた最も性能の高いTNT(トリニトロトルエン)火薬2万トン分に相当する破壊力をもっていました。


水素爆弾の登場

日本の軍部も、原爆の前にはついに幸福に踏み切らざるをえなかったのです。

原爆の開発をルーズベルト大統領にすすめたアインシュタインはそれが実際に使用された(そのときはトルーマン大統領にかわっていましたが)ことにたいして、ひどく良心の傷みを覚えました。

アインシュタインはナチスドイツに先を越されないよう原爆をつくることをすすめはしましたがそれを使うべきではないと考えていたのです。

たとえば1945年6月1日にアインシュタインらは政府にたいし「……もしアメリカが、この新しい無差別殺傷兵器の最初の使用者となるならばアメリカは世界世論の支持をうしなうばかりか、軍備拡張競争に油を注ぐことになろう……」とに言っています。

しかし、アインシュタインらの願いは聞き入れられず日本人がこの悪魔の兵器の力を試すためのモルモットにされてしまったのです。

しかもアインシュタインの予想どおり、戦後軍備拡張競争はますます激しさを増しかぎりない不安と恐怖をはらんだ、冷戦状態をうみだしたのです。

アメリカに引き続き、ソ連もまた原爆をつくることに成功しました。
そこでいっそう強力な兵器をというわけでこんどは水素爆弾(水爆)の開発がはじまりました。

アインシュタインはもちろん、マンハッタン計画の最高指導者として原爆開発に力をつくしたロバート=オッペンハイマーもこの水爆の開発に反対しました。

しかし、あくまでもソ連より優位にたたなければという軍部の強い意見にかんたんに押し切られアインシュタインは「こんど生まれてきたら、決して科学者、ことに原子物理学者になんかなるまい。

最小限の精神の自由が保てるような、大工か行商人にでもなりたい」という言葉を残して死に、オッペンハイマーは赤よばわりされいっさいの原子力研究活動から締め出されてしまいました。

さて、水爆というのは、小型の原爆のまわりを重水素や三重水素(ふつうの水素の原子核に1個の陽子しかもっていませんが重水素のそれは、1個の陽子と1個の中性子、三重水素は1個の陽子と2個の中性子をもっていて原子量がふつうの水素のそれぞれ2倍になっている)やリチウムのような軽い(原子量の小さい)原子でつつんだものです。



起爆装置をはたらかせて、芯になっている原爆を爆発させると1億で℃くらいの高温になりそれがまわりの重水素やリチウムなどのかるい原子核をくっつけ
(分裂の反対で、融合といいます)より重い原子核をつくります。

このときには原爆の爆発以上のものすごいエネルギーが放出されます。
たとえば、1952年、アノリカは南太平洋のエニウェットク環礁で最初の水爆実験をしました。

この水爆はたいへん効率の悪いものでしたがそれでも広島に落とされた原爆150発分の力をもっていました。

1953年、ソ連はアメリカの水爆よりもずっと性能のよい水爆を完成しました。

それは原爆のまわりを、重水素とリチウムを結合させた重水素化リチウムというものでつつんだものです。

アメリカの最初の水爆は重水素と三重水素の気体を零下20℃に保って液化しそれで原爆のまわりをつつんだものですからしかけ全体がたいへん大がかりになり水爆というよりは水爆装置ともいうべきものでした。

これにたいし、ソ連が採用した重水素化リチウムははじめから固体ですから、面倒な装置などは必要がなくまたずっと小型にすることもできたのです。

もちろんアメリカもすぐソ連の後を追いました。
そして1954年2月1日、アメリカは最初の重水素化リチウム水爆の爆発実験をビキニ環礁でおこないました。

このとき、日本の漁船第五福竜丸は立入り禁止区域外にいたにもかかららず、多量の死の灰をを浴び乗組員のひとり、久保山愛吉さんは、ついに放討能障害で命をうばわれました。

この水爆の破壊カは、広島型原爆の実に700倍といわれました。
しかもそれは爆発力についてだけのことであってそのとき飛び散る死の灰の害は、これらにひどいものと思われます。

そして、このような水爆にいまアメリカ・ソ連の両国に何百発も用意されているのです。
さらにイギリスもフランスも、そして隣の中国も原爆や水爆の開発に成功しています。

いま世界中には、この地球を、全人類、全生物を10回でも20回でも完全に破滅させるに充分な量の核爆弾がたくわえられているのです。

しかも、これらの核兵器は爆撃機に積まれ原子力潜水艦に積み込まれさらにはミサイルの弾頭にセットされていつでも投下、あるいは発射できる態勢を整えているのです。

このような危険な状態を、1日も早くなくさなければなりません。




核分裂の発見はいつ頃? エネルギー問題とは? わかりやすく解説!

エネルギー問題

世界全人類が抱えているいちばん大きい問題の1つに、エネルギー問題があります。

人類は古くから家畜のエネルギーや風力(風車)・水力(水車)を利用することを知っていました。

さらに18世紀に入ると、蒸気のエネルギーを利用する道が開けさらに電気のエネルギーを利用することもできるようになりました。


電気のエネルギーは、光としても熱としても動力としても利用できます。
したがって竃気の消費量は年をおって増えていきます。

人々は、まず水力を利用して水車発電機を高速回転させて電気をつくりました(水力発電)。

また石炭や石油や天然ガスなどを燃やし、その熱で蒸気をつくり高圧をかけ、この強力な蒸気によってタービンをまわし発電機をはたらかせて電気をつくりました(火力発電)。

しかし、水力は無限に利用できるものではありません。
日本のように高度に工業が発達し、しかも国土の狭い国では開発できる候補地はもうほとんど残されていません。

いっぽう、石油や石炭の量もかぎられています。
いつかは掘りつくしてしまうことでしょう。

掘りつくしてしまわないまでも、必要なだけの量を賄うことができるかどうか将来は甚だ不安であると見込まれています。

しかも電気エネルギーの消費量は急ピッチで伸びています。

たとえば、世界のエネルギー消費量は1キログラムあたり7000キロカロリーの石炭に換算して1949年には24億トンだったものが、15年後の1964年にはその2倍の50億トンにまで急増しました。

人類がエネルギー資源のなくなることをどんなに恐れているかみなさんもおわかりになると思います。

こうして新しいエネルギー源の開発たとえば太陽熱や地熱や潮力などを利用する道が熱心に研究され一部はすでに実用化されています(たとえばエレクトロニクスのところで述べた太陽電池)。

またエネルギーを有効に利用する道たとえば熱を直接に電気にかえようという
いわゆる直接発電の研究もすすめられています。

しかし、それでエネルギー資源の乏しくなることを大幅にふせぎとめることはまず無理のようです。

そこへ登場してきたのが原子力発電です。



核分裂の発見

1938年といいますから、ナチスドイツのヒトラーが政権をとり世界中を戦争の暗雲がおおいはじめたころドイツの物理学者オットー=ハーンやハインリッヒ=シュトラスマンらは天然ウランの中にわずか0.7パーセントふくまれているウラン235に中性子をあてると原子核が分裂(核分裂)して、原子量のより小さい原子にかわりそのときにたいへんな量のエネルギーを放出することを発見しました。

ひき続きフランスのジョリオ=キュリー・イレーヌ・キュリー夫妻でも同じような事実を発見しました。

原子核の中には驚くべき多量のエネルギーが潜んでいることに人々は一斉に注目しはじめました。

ウラン1キログラムは、石炭3000トン分のエネルギーを持っているというから驚きます。

このエネルギーを利用すれば、どのように強大な破壊力を持つ悪魔の兵器がつくられるか、ナチスドイツも、そして連合国側もただちにそのことに気づきました。

ドイツはチェコのヨアヒムシュタールのウラン鉱山をおさえました。
連合国側はあわてました。

しかし、ファシストたちの手を逃れてアメリカに亡命したイタリアの物理学者
エンリコ=フェルミ(1938年、ノーベル物理学賞を受けるためにストックホルムに行き、そのままアメリカに脱出しました)が1942年、シカゴ大学構内に秘密につくった実験施設で原子核の連鎖的核分裂反応を発見するにおよんで連合同側はナチスドイツに一歩先んじることができました。

連鎖的核分裂反応というのは、ウラン原子核が分裂するとき中性子という粒子が飛出しますが、これがつぎのウラン原子を分裂させつぎつぎと分裂反心を続けさせていくことです。




人工衛星と有人衛星が開発されたのはいつ頃? わかりやすく解説!

国際地球観測年がはじまるまえにアメリカとソ連は人口衛星による観測計画を発表しました。

この両国の競争では、ソ連のほうが先に人工衛星(スプートニク1号)の打ち上げに成功しました(1957年)。

人類史上はじめて、人工の月(人工衛星)が打ち上げられたことによりいよいよ宇宙時代がはじまったのです。


その後、アメリカも人工衛星の打ち上げに成功またイギリス・カナダ・フランスなどもそのあとを追い今日までに打ち上げられた人工衛生の数はもう1000個以上にになっていると思われます。

これらの人工衛生の中には、ソ連のルーニク3号のように私たちがいままで見ることができなかった月の裏側の写真を撮り地球上に電送してきたものもあります(1959年打ち上げ)。

またアメリカのタイロス1号(1960年打ち上げ)のような気象観測用の衛生またテレビや電話の中継をする静止衛星(1963年打ち上げのシンコム1号)もあります。

さらに、ソ連の金星1号(1961年打ち上げ)火星2号(1962年打ち上げ)アメリ力の金星科学調査衛生マリナー2号(1962年打ち上げ)や最初の火星写真を電送してきたマリナー4号(1964年打ち上げ)などのように金星・火星のような、ほかの惑星の探査に乗り出したものもあります。

しかし、宇宙時代も象徴する、最も目覚ましい出来事は人間の乗り込んだ人工衛星、有人衛星の打ち上げ、そして地上への回収の成功でしょう。

この分野でも、まずソ連が成功しました。

1961年、ユーリー=ガガーリン少佐の乗り込んだボストーク1号が地球を1周して無事地上に帰り着きガガーリン少佐は宇宙飛行士第1号になったのです。

この年、同じくソ連のゲルマン・チトフ少佐が地球を17周することに成功しました。



アメリカでは、ようやく1962年、ジョン・ダレン中佐のマーキュリー衛生船による地球3周が最初の成功になりました。

その後もアメリ力とソ連の有人衛生の競争は激しくなりました。

たとえば1963年にはソ連のテレシコワさんがボストーク6号で宇宙飛行に成功
世界初の女性宇宙飛行士になり1964年には同じくソ連の3人乗り宇宙船ボスホート1号が飛行に成功さらに1965年に打ち上げられたボスホート2号ではレオーノフ中佐が初の宇宙遊泳(軌道飛行中の宇宙船から、命綱をつけて船外、つまり宇宙空間に出て作業をしてみること)に成功しました。

いっぽう、アメリカでは1965年ジェミニ6号とジェミニ7号が宇宙でのランデブー(接近していっしょに飛行を続けること)に成功しジェミニ7号は2週間飛行を続けるという史上最長時間の宇宙飛行に成功しました。

また1966年にはジェミニ8号が史上最初のドッキング(宇宙空間)で衛星船どうしをつなぎあわせること)に成功しました。

1968年、アメリ力の打ち上げたアポ口8号は、3人の宇宙飛行士を乗せて人類史上はじめて、月をまわって帰ってきました。

人類がはじめて、肉眼で直接月の裏側を見たわけです。

その後、人間を月に送り届けることが目的であるアメリカのアポロ計画はちゃくちゃくと進行し、1969年の3月には、アポロ9号が地球をまわる軌道の上で、月面着陸船を積んでランデブー・ドッキング・宇宙遊泳などをおこないました。

さらに5月には、アポロ10号が、月をまわる軌道に乗り月面からわずか15キロメートルの高さにまで近づき月面の写真撮影などをおこないました。

このような準備を積み重ねたうえで、1969年、7月21日、アポロ11号に乗ったアームストロング・オルドリン・コリンズの3人の宇宙飛行士のうちアームストロング・オルドリンのふたりが、月面に降り、月の岩石を採集しました。




ロケットが発達しはじめたのはいつ頃? わかりやすく解説!

20億光年の彼方の宇宙の様子を知るとか巨大な星雲同士の衝突を見るということは確かに驚くべきことです。

しかし、地球上の私たちの生活により密接な関係があるのははるかに近い空間、つまり地球の上空1000キロメートルとか2000キロメートルとかいった程度までの空間です。


そこで、地球の上空2000キロメートルくらいまでの高さにわたって大気層を例えば10キロメートルごとに何層にも水平に切ってそれぞれの高度での空間状態を観測する手段がほしいわけです。

この観測は飛行機や気球では無理です。そこへ登場してきたのがロケットです。

ロケットの原型は、すでに古代中国で戦争の兵器として使われていた火箭(火の矢)だということですが、これは近代のロケットとはまるで違ったものです。

現在、世界のいくつかの国で兵器や空間観測用に使われているロケットの原型は第二次大戦中にナチスドイツが開発したV2号、その他のロケット弾などです。

ロケットというのは、その後尾のノズル(ふん射孔)からたくさんのガスをふきだし、その反動で飛ぶもので、空気の密度の非常にうすい高層空間をも飛ぶことができます。

はじめのころの観測用ロケットはせいぜい数十キロメートルくらいでしたが現在では1000キロメートル以上に達することができます。

このロケットに、温度や風向・風速・放射線・地磁気などを測定するための機械装置を積み込み、それぞれ決められた高度のところではたらくようにしておき観測データはテレメーター(遠隔通信装置)で地上に送信させるようにすればそれぞれの高度の空間状態がつかめるわけです。



第二次大戦後、ナチスドイツがつくっていたロケットやその設計図を持ち出したアメリカとソ連はそれをもとにロケットの研究、開発をすすめました。

それが、中距離弾道弾(IRBM)や大陸間弾道弾(ICBM)として実をむすびそれらに核弾頭をつけることによりいわゆる押しボタン戦争の可能性までうみだしまかり間違えば、全地球を破滅させるような兵器となったのです。

いっぽう、科学観測用として開発されたロケットもまた急速に進歩発展を続け、得られたデータは、それまで知ることができなかった高層大気・高層空間(スペース)についての知識を大幅に増やすことに役立ってています。

日本でも、1957年7月1日から1958年12月31日まで世界60か国が参加して行われた国際地球観測年(IGY)をきっかけとして科学観測用ロケットの開発に乗り出しまず、おもちゃのようなペンシル型・ベビー型ロケットから出発10年のちには、全長12メートル、重さ1.5トンというラムダ型ロケットの開発に成功
さらに、1970年2月、4段式ロケット、ラムダ4S型5号機で初の国産人工衛星「おおすみ」を打ち上げることに成功しました。




宇宙開発がはじまったのはいつ頃? わかりやすく解説!

人類は、随分遠い昔から、宇宙やもろもろの天体に関心をよせてきました。

しかし、天休の科学的観測がおこなわれ、その観測結果にもとづいて正しい宇宙の姿が描かれはじめたのは、ルネサンス期以後のことです。


さて、20世紀に入ると天文学はますます大きな発展をとげます。

その原因の第一は、科学者たちが自分の観測した結果にもとづいて自由な考えかたをしてもよいようになったこと(コペルニクスやガリレオの時代は、キリスト教によって厳しい制限をうけていました)、また、望遠鏡などの観測手段が非常な進歩をとげたこと数学の発達などもその理由にあげられます。

まず、1904年、アメリカのカーリフォルニア州ウィルソン山の頂上にウィルソン山天文台が開設されました。

この天文台に1917年、口径258センチの反射望遠鏡がすえつけられました。

反射望遠鏡はもともと、イギリスの科学者アイザク・ニュートンが1670年ごろに発明したもので、それまでの屈折望遠鏡の対物レンズのかわりに凹面鏡を使い、物体からくる光をこの鏡で反射させさらに第二の鏡でこの反射光を観測に適当な場所に集めるようにしたものです。

反射望遠鏡を使うと、星雲のように非常に弱い光しか出していないものの観測もできます。
そこで、ウィルソン山天文台はつぎつぎと新しい星を発見したのです。

ついで、1948年、同じくカリフォルニア州パロマー山天文台に口径508センチの大反射望遠鏡が完成するにおよんで宇宙をさぐる私たちの目は、さらに果てしなく遠いところにまでおよぶことになりました。

この世界一の大反射望遠鏡は、20億光年の彼方の星まで探ることができるのです。
ところが、電波望遠鏡というのを使えば、さらに遠くの星まで探ることができるのです。

天体が電波を出しているということは、誰も予想していなかったことですが1931年、アメリカのベル電話研究所の技師、カール・ジャンスキーという人がまったく偶然の機会から、ある種の電波が天空の彼方から送られてきていることを発見しました。

あまりにも予想外のことでしたのではじめはジャンスキーの発見に疑いをもつ人が多かったのですが第二次大戦中、やはり偶然に太陽からの強い電波が受信されそれ以来、天体からの電波に関する研究がにわかにさかんになり電波天文学という新しい分野がうまれたのです。



それまでの天文学は、いわば光を手がかりにしていました。
ところがこんどは電波という新しい武器が使えるようになったわけです。

電波を出している星、いわゆるラジオ星はつぎつぎと発見され今日ではその数が数千個にも達しています。

これらの星の存在は、光学的研究によって築き上げられたそれまでの天文学による宇宙像を大きくかえさせることになりましたが電波天文学の発達にともない、反射望遠鏡による天体観測にも思いがけない新しい面が開けてきました。

たとえば、こんなことがあります。

1952年、イギリスの電波天文学者ライルとスミスは電波をたよりに白鳥座のラジオ星(2億光年)の位置を正確に決定しましたがこのデーターにもとづいて、パロマー山の508センチ反射望遠鏡をその位置に向けてみたところ、そこではなんとそれぞれ1000億の恒星をふくむ2つの大星雲が激しく衝突しあっているさまがみられたのです。

広大な宇宙空間における、巨大な星雲同士の衝突これほど恐ろしい劇的な眺めも待たないでしょう。

こうして、いわば偶然の機会から誕生した電波天文学はあるいは、それまでの天文学を助けあるいはその限界を越える宇宙の先の先まで探り続け宇宙についての私たちの知識をさらにさらに広げ続けているのです。

いま活躍している世界最大級の電波望遠鏡はイギリスのチェシャー州ジョドレルバンク天文台に備えられているものでそのパラボラ型アンテナの直径は76メートルもあります。

この電波望遠鏡が、アメリカやソ連の打ち上げる人工衛星や人間衛生の宇宙飛行の様子を捕えています。




モバイルバージョンを終了