地動説をめぐって
ガリレオは、落体の法則を発見したころ地動説についてもこれが天動説よりも正しいことに、はっきり気がついたのです。
その少し前から、ガリレオはドイツのケプラーと親しく手紙のやり取りをしていました。
その手紙の中でも、このふたりの学者は、だいたい地動説に賛成していました。
ケプラー
ケプラーは、ドイツの天文学者です。
のちに火星の運動をよく調べケプラーの法則という天文学のうえで大切な法則を発見しました。
これは、地球や火星などの惑星が太陽のまわりをどのようにまわっているかを、明らかにした法則です。
コペルニクスの地動説では太陽のまわりをまわる惑星の道筋は、円であるといっています。
ところがケプラーは、どの惑星の道筋も円ではなく長円でありその長円の1つ焦点にあたるところが太陽だということを明らかにしたのです。
望遠鏡とガリレオ
ちょうどそのころガリレオは、オランダで望遠鏡が発明されたという知らせを聞きました。
そこで早速、自分でもこの道具をつくってみようと思いたちました。
そして、いろいろ苦心したあげく、かなり倍率の高い望遠鏡からはじめて天体を調べるのに、役立てたのです。
ガリレオは、この望遠鏡を使って「月には山や谷があること、木星にも4つの衛星(月)があること銀河はたくさんの恒星からできていること、太陽には黒点があること」などがづぎつぎに発見しました。
そして、こういう発見は、地動説には、都合がい証拠だと考えました。
木星に4つの衛星があることは、天動説では考えられもしなかったことでした。
天動説の学者に、ガリレオの発見を嘘だと決めて、こんなことを言いました。
「木星に月などない。そんなものは、望遠鏡という道具がつくりだしたものだ。ガリレオは、勝手にそんな月があると思い込んでいるだけなんだ」
ガリレオも、これには呆れ返ってしまいました。そして、こんな手紙を書いています。
「ケプラー君、僕は腹のそこから、笑いたくてしかたがありません。このあいだも、僕はある先生に、どうかわたしのつくった望遠鏡で月や惑星を覗いてみてくださいとお願いしました。そうしたら、嫌だというのです。君がいてくれたら、この大先生のことをいっしょに大笑いできるのですがね」
このように、そのころは望遠鏡で見えるものさえ、本当にされない世の中なのでした。
天文対話
ガリレオがいたパドバの街はベネチア共和国という、かなり自由な国にありました。
カトリック教会の勢いも、それほど強くはありませんでした。
ですから、ここにいるかぎりガリレオが新しい説を唱えても安全だったのです。
ところがガリレオは、昔の恩人の勧めでフィレッツェ公国にうつることになりました。
この国のカトリック教会は、大きな力を持っていました。
そのためにガリレオは、この国でたいへんな不幸を受けることになったのです。
フィレンツェに移ってまもなく、古い考えの学者や神父たちはガリレオが地動説の肩をもっていると言うので、一斉に悪口を言い始めました。
ガリレオをまた、相手の人々の間違いを直そうと遠慮せずに自分の考えを述べました。
しかし、なかなか納得してもらえないばかりか、騒ぎはますます大きくなるばかりでした。
こうなっては、カトリック教会を指図していたローマ法王庁も黙って見ているわけにいかなくなりました。
1616年法王庁はとうとう命令を出して、誰も地動説を唱えてはいけないということになりました。
そのうちに、兼ねてから親しい友人が法王になりました。
ガリレオは、今度は大丈夫と喜んで「天文対話」という書物を書きはじめました。
これは「新科学対話」と同じように3人の人が話し合うという形で書いたものです。
この本ができたのは、1632年でした。
書きあげるまでに6、7年もかかり、そのうえ法王庁で2年もかかって厳重に調べてもらって出したのです。
宗教裁判
「天文対話」には、表向きは天動説が正しいように書いてあります。
しかしよく読むと、地動説が正しいとわかるようになっているのです。
そのうえ法王が言った言葉を、そのまま占い学者の言葉として書いたところもあったのでした。
悪いことに、このことはすぐ見破られてしまいました。
そしてまもなく、ガリレオは宗教裁判所に訴えられてしまったのです。
続いて厳しい取り調べを受け、1633年には、最後の判決が下されました。
ガリレオは、教会の偉い人々や裁判官の前で、地動説は間違っているということをはっきり言わなければならなくなりました。
そのうえ「天文対話」は出せないことになり死ぬまで法王庁の見張りを受けることになったのです。
こうしてガリレオは、大勢の人の前でひざまずき地動説は間違っているという誓いをたてました。
しかし、そのとき立ち上がって「それでも地球は動いている」と言ったと伝えられています。
このように、ガリレオは古い考えに負けることになりましたが正しい科学をあとに残したい、という気持ちがあったことは確かです。